これは順序だと思う。

ピアノは幼い頃に習っていましたが、弾けるとは言いません。20歳前後には歌うことに注力していたので、弾き語りを練習したりもしました。しかし歌もピアノもド素人の域を出ません。

ベースを弾くことを職業にしようとした時に、ベーシストが出すべきノート(音)を、どのようにして適格に選択するか考える上で、鍵盤楽器を利用することは必須で、その後の講師職の中でも機械のドラムは鳴らすけれども、私自身がピアノ伴奏を行いながら生徒さんの演奏を観察します。

マイナスワンとして作られた伴奏音源を流すのは、どちらかと言えば仕上がりを見る時で、その練習過程では一緒に弾く方が、その方のリズムのクセとかが感じられやすいのです。コードを鳴らす程度でも、むしろこちらの方が間違いが多かったりするので、迷惑に感じる方がおいでかもしれませんが。

ところが、やはり人生の終局に近づくにつれ、もう少しピアノを弾けるようになりたいと強く意識するようになってきます。親が亡くなって実家を処分し、新しく自分の家を持つ時にはグランドピアノを置こうと、不相応にも決めていました。幼少期に触れていたのはアップライトピアノだったので、グランドピアノを知らずしてピアノを弾いたとは言えないという思いもありました。一言でいえば憧れなのでしょう。あるいは最後に残った好奇心。

一連の処理の多くは、思わぬ出来事に翻弄され、願っていた方向へは進めませんでしたが、今は、その「新しい家」の中でたしかに生きており、漸く日々を安定的に過ごし始めました。今これを書いている作業部屋、イコール防音室に、ぜひピアノを置いてみたいと考えるようになったのです。そういえば、といった感じで思いだしました。

もしくは一種の病気、買い物依存症なのかもしれません。クリスマス前にコントラバスを弾く仕事を受け、もう随分長いこと触れていませんでしたが、やってみようとトライし、そのような形をした代替品ではありますが、新しい楽器を入手しました。あれから二ヶ月、カード請求の決済を済ませた時から、今度はピアノなどと騒いでいます。後ろめたさは50%を超えるか超えないか、そんなライン上にあります。だけど、グランドピアノは無いと思います。小さい物を選んだとしても占有面積が許容範囲を超えております。

しかしながら、この部屋にピアニストをお招きして、私がバスを弾き、その方がピアノを弾き、練習というかセッションができればいいなと、昔は考えたこともないことを夢想するに至ります。自分でも(鍵盤の)練習はしたいけれど、プロが弾いて、少しでも楽しんで頂ける機材を用意したいな、というのは、まさに夢であり、その方向へフラフラ歩み寄りそうになっているのは、病気と見做すよりも宿願かもしれません。

Korgのクロノス(73鍵)が使えないこともないはずで、そこから生成される音色を気に入っていたし、面白い楽器でした。スペック上同じ鍵盤を搭載したD-1という電子ピアノは、最初の候補として考えており、世間の評判も良いようです。ですが、どうやら木製鍵盤というものがあるらしい、と知り、探索をスタートしました。


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