『愛について語るときにイケダの語ること』を観た(ネタバレがあります)
"What We Talk About When We Talk About Love"、レイモンド・カーヴァーの作品になぞらえてタイトルを付けられた、標記の映画を観てきました。劇場へ行くのは10ヵ月ぶりでした。連日満員だそうで、今日も座席に空きはありませんでした。
市役所勤めをする、一般人である池田英彦さんが、末期癌の余命宣告を受けてから、映画化を目論みつつご自身が撮影した60時間あまりの動画を、友人である脚本家の真野勝成さん、映画監督の佐々木誠さんに託し、彼等が死後に1本の中編へと仕上げた映画です。
お話によれば、昨年の冬に1度だけ内輪での上映が行われてお蔵入りの予定でしたが、その会場となったアップリンクから、一般公開の提案があり、今この時期の上映という運びになりました。
本作には携わっておりませんが、脚本家の狗飼恭子さんは、昔ちょっと読んだ文章に引っかかりがあって、それからずっとTwitterでフォローしています。先日、この映画の上映後に登壇すると呟いていたのを見て、興味が湧き、その日を狙って伺うことにしました。彼女が脚本を手掛けた映画もいくつか良いと思いましたし、こうやって薦めてくる映画はだいたい見る価値がありました。その影響でポレポレ東中野などにもよく出向いたものです。
これより先は「ネタバレ」になりますので、少しでもこの映画に関心を持ち、鑑賞の意欲がある方は、どうぞお読みにならないでください。
撮影を始めるときに、池田さんは真野さんに計画を打ち明け、協力を仰ぎます。真野さんはシナリオライターとして名の知れた方で、ドラマ『相棒』も手がけていらっしゃいます。その『相棒』にも出演歴のある、俳優の毛利悟巳(さとみ)さんに出演依頼します。
池田さんは、かつて新宿のキャバクラ・ホステスと同棲していたことがあって、その部屋に今でも一人で住んでいます。死を目前にして、デートがしたいと言います。一方で、風俗嬢との情事を撮り貯めていきます。人生の終わりにやりたかったことは、その二つだったようです。
真野さんはシナリオを書いて毛利さんに渡し、彼女は池田さんとデートし、彼の部屋で食事を作り、その後台本通り「好きになった」ことを告白します。これらは、みなフィクションであるという認識で、「撮影」のために行われていたにもかかわらず、彼は彼女を振ってしまいます。
なぜ、彼はおつきあいの申し出を断ってしまったのか。芝居であるはずなのに、芝居を辞めて本音を語ったのか。上映後の鼎談(真野、佐々木、狗飼氏)では、その辺りのことで意見が交わされました。狗飼さんは「美しい愛の映画」だったと断言しました。おそらくは、この行動についてのジャッジだったように思えました。
佐々木さんによると、情事のシーンが少なすぎると来客に非難されたそうです。しかも若い女性だったとのことですが、それでも何度か我々はそうした録画の断片を見ることになります。どういう筋であるかは不明ですが、風俗であることは確かです。お金を払う対価として、同意の上でお相手は、彼との性行為の撮影を受け入れているようです。
ところが、障害者でもある池田さんに接する、風俗の女性達が、カットインされる少ない情報の限りではありますが、本当に優しいのです。この映画に登場する、彼を巡る女性達は、まず元カノ(出演はありません)、毛利さん、複数の風俗嬢です。
元カノは、どういった繋がりが続いているのかは知らされませんが、死の直前まで、もう衰弱しきって緩和治療に切り替えられても見舞いに現れます。それもひとつの愛の形であるようです。
毛利さんは、脚本によって言わされる以上の感情を抱いてしまったのか、振られたことに後味の悪さを引きずったまま、真野さんに病院見舞いの形で、再度出演してみないかという提案には強く肯定します。しかし結局、再会はありませんでした。
複数人の風俗嬢は、それが仕事であるが故の、真っ当に職務をこなす取り組みの結果、即ちそれは、心をも慰撫しようとする優しい言葉掛けを重ねます。
全くの私の想像でしかないのですが、お金で買える優しさのリアリティは、フィクションの殻を破って現実に起きる愛の情景よりも心地良かったのではないでしょうか。
画面を通じて知れる池田さんの人柄は、並以上にシニカルで、敢えて下品な振りをする根は上品で真面目な方であるようでした。本当なら恋愛を知りたかったと思っていたのに、それは相手を傷付ける行為だとわかってしまった。味が良いのは契約によってそこに出現するリアルな誠実さの方だった。
会場を後にする前に、他の観客の方が佐々木さんとお話をしているのが聞こえました。彼も同様の感想を持ったようで、それに対して風俗の人達のそれにも本当の愛はあるよね、と答えていました。
池田さんは、どんなに衰弱しても、真野さんによれば、深刻さを顕さず、同じようにふざけて過ごしながら亡くなっていったそうです。私には、彼が何か本当のことを悟ったように見えました。愛は人を傷付けるのだと。
女優、毛利悟巳とは、珍しい字ですが、暗示的にも相応しいお相手でした。しかし彼がベッドで、抱きたいと言って眺めていたグラビアは同じ「さとみ」でも石原さんの方でした。