エレキベースのマイク位置を一から考え直したい

全く単純な思いつきで、2021年の抱負を「毎日文章を書く」こととして、noteのアカウントを取得、挨拶文を掲載したのが昨年の大晦日になります。以後雨の日も雪の日も地震の日も、少しでいいから何かを残して来ましたが、今回が202連続投稿目となります。記述に費やす時間が全てベースの練習だったとしたら、どれほど向上していただろうと妄想もしますが、1日1日の生きた証をただ記録するだけでも、将来必ず貴くなるはずであると期待して、これからもできるだけ続けたいと思います。多くの方に励ましをいただき感謝しています。拙い文章ですが、時々覗いてみてください。

エレキベースの話になります。少し前までの、6弦ベースを前提としたネック幅やスケールなどの意向確認に続いて、このところPUに関連する話題が続いています。いまいちど音の拾い方を再考することが現在、急務となっています。それで改めて各メーカーのサイトを読み直したり動画を漁ったりしている次第です。

空間において、音源に対してどのようにマイキングして収音するかが、信号のいくつかのコンバージョンを経た後に、時や場を変えて再生するときのリアリティに大きく作用します。問題はコンバートの部分で、電気信号に変換され、以降それは現代ではデジタル化され、最後は物理的な動作に戻され、例えばスピーカーの紙を揺らして耳の奥へ風を送ります。そのプロセスのエレメントは無視したとして、マイキングの、ある意味での基本は、そこに居て聞こえる音を拾うべきと考えるのが妥当でしょう。

ところがエレキベースの生音を高性能なマイクで拾っても、楽器として確立された「エレキベース」の音になりません。そこに耳を当てて聞こえる音とは本質的に違う音像を、その楽器の音色として認識しており、物理的に発する(生じる)音ではない、電気的に生成される信号が音源となっています。理屈では。

エレキベースという楽器が、発明品としてこの世に誕生し、それが利用されて作られる音楽が普及したことによって、その音色はかくなるものであると確立されます。生演奏の場においては、アンプが鳴らす音をエレキベースの音と認識し、レコーディングされた音楽の中では、ミキシング・エンジニアによる意図的な音色加工を経たものをそれと認識しています。

エレキベースは誕生と共に圧倒的に好意的な受け入れられ方、ある意味でパンデミックを果たし、その音が利用される録音物が世界中を席巻して普及しますが、そもそもの(ほぼ)初期設定のまま70年あまりを経過しました(今の所まだあまり記述を目にしませんが、Fender社がPrecision Bassを発売したのが1951年11月だったと思いますので、もうすぐ本当に70年のアニバーサリーです)。

当然のことながら、これだけの人気プロダクトを、我も我もと製造に参入する人々は星の数ほど現れ、変化、革新、進化を遂げてきたのはご承知の通りですが、現時点でのマーケットを見てもFender社の当時の仕様を模した品番が大半を占めていることは、非常に特殊な状況と見做すことができるでしょう。

結局、私が思うに、物理的な発声の収音じゃなくて、まぁ物理の範疇ではあるのですが、電気信号の生成という音源出力ですから、いかようにも後加工ができるということが、楽器自体のスタイルとしてはクラッシックなままで良しとされる原因なのでしょう。乱暴に言えば、マグネット・ピックアップで信号を拾えば、その音域に設定されていれば成り立ってしまっている、だからこその古典礼賛というわけです。

ただ弾き手感情としては、少し見地が変わってきます。まず1対1で楽器に対峙するなら、弦をはじいた時の物質的な振動により生じる空間に出現する音というものが聞こえます。そこに重きを置く意味は薄いですが、場合によっては好きな/嫌いな感覚が得られます。1対1であっても、アンプを通すことでピックアップされた音(電気的に生成された信号)がモニターできますので、一応楽器の音色としてはこの段階でジャッジする必要があります。弾き方で音色は変わりますが、良い音を出せる弾き方を習得するのに、生音での練習が適さないのは周知と思います。

バックグラウンドでの練習時間がアンサンブルでの演奏時間よりも数倍長いことは当然ですが、楽器を現実的に利用する場面は後者でしょうから、他者による楽器音と混ざり合ったときに、どのように自身の音が残っているかについても気がかりです。すでに生音は感受することが不可能な音量差の中にいます。自分の楽器音をアンプから出していても、それがどのように聞こえるかはアンプの性質によってゆがめられてしまいます。この段階で、その楽器が「使える」「使えない」がわかります。ただし出力デバイス(アンプとかモニターとか)を考慮せずに、全責任をエレキベース本体に押しつけるわけにはいきません。

というような次元の異なる場において、常に信頼置ける音色を担保できる楽器が、信頼の置ける良い楽器ということになり、先の話に戻りますが、ノウハウの蓄積されたデフォルトの楽器形態が有利であることも、環境構築の前提が、それをもって行われてきた歴史を思えば然る可しと言えるでしょう。

Fender社の発明したエレキベースのフォーマットに耳が慣れていますので、批判的な立場を取るつもりはございません。ただ、より弾き易く、より広い音域の楽器を望む場合のあり方については、そのままでは如何ともしがたい気がしています。

思いつくままに書いてみますと、大風呂敷を広げていたことに気付きます。いま関心があることは、ただのPU搭載位置です。このトピックに関する研究は、私自身20年くらいやっているような気がしますが、まだまだどうしようか迷っています。というわけで、最近考えていることを少しずつ、頭を整理するためにも書いていきたいと考えておりますが、全然科学的にどうこうできる知見がございませんので、体験的、概念的な範囲での、ただの雑談に終わる、ともすればFender準拠が一番だよね、という結論を招きかねない危うさの中で呟きを続けてみたいと、この瞬間には思っています。





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