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スティーブ・カーン

唐突ですが、好きなギタリストを3人挙げろと言われたら、デヴィッド・スピノザ、ジョン・トロペイ、スティーブ・カーンで決まりです。迷いません。彼等が70年代後半に残したアルバムは今でも好きで、よく聴きます。そして、その時代の真実を探るべく、時々採譜してみるのです。彼等が何をやっていたのか、楽譜に書き起こすことで見えてくるものがあります。

今回はスティーブ・カーンのソロ2作目The Blue Man(1978)冒頭のDaily Bullsを取り上げました。この曲のリードシートは、カーン自身のサイトに掲載されています。レコーディングに使用したものではなく、後に書かれたもののようです。

ですから、採譜、と述べましたが、今回は浄書が正確です。いわゆる耳コピの作業は(楽譜にする過程では)行っていません。ベーシストなので、ウィル・リーのプレイは別途、注視していくのですが。

で、直筆の原本(をスキャンした画像)では、Aメロのコード進行が(Gのペダルは省いて)Gm7(sus)→A7(b9,b5,#5)→D7(b9,b5,#5)→Gm9(sus)となっています。A7、D7のところがわかりにくいですが、私はこれをEb9onA、Ab9onDと表記しました。ボイジングの実情を掴みやすくするためです。Gmのところのsusは、習慣的な書き方なのでしょうが、マイナーセブンスコードとサスペンデッドフォースは相容れないので、イレブンスを意味しつつ、しかしGm11とは書けない心情が伺われます。そこで、冒頭はDm7onG(サスフォーと同義)、最後をGm(add4)としました。add4もまた認められたコード表記ではありませんが、気持ちを察して欲しい系のローカルルールです。add11としないところも、酌んで欲しいなぁと緩く願望が入っています(出版原稿ではないので自由にやらせてもらっています)。

カーンの楽譜にはバッキングのボイシングが記載されていますが、それはレコーディングに用いられたオリジナルの楽譜を見たキーボーディストのドン・グロルニックが、プレイ中に反応している内容が反映されたものと言っています。というわけで、恐らくはシンプルにGm7→A7(b9)→D7(b9)→Gm7(後に出てくるオルガンソロのパートでリードシートに書かれているまま)だったのではないかと想像します。

というわけで、ドン・グロルニックのリハーモナイズが、このような難解なコード表記を誘発したのだろうと推測します。で、Eb9onAというのが、A7上のオルタード、Ab9onDというのが、D7上のオルタードであるのは言わずもがなで、b9系のセブンスコードの裏コードを弾くというのが、オルタードの攻略法として認識されるものの一つです。

具体的にはEb9としてはDbMaj9を、Ab9としてはGbMaj9を意識する、つまりはそれぞれをsus4化して音を選ぶラインが美しく響き、各々Aがルート、Dがルートであれば、半音上のメロディック・マイナーの世界が表現できます。

同じく、Dm7onGとしたのは、G7での典型的な処理としてのFMaj9を演奏する意図で、Gm7上ではあるけれど置換関係にあるBbMaj7の3度上からのDm7とも一致します。おしまいをGm(add4)としたのも、表記を違える確固たる必然性はありませんが、同じものを、少しだけトニックの色彩をつける意味で変えました。ソロをとる上では同じ扱いでいいのだと思います。

ですから終盤に聴けるドン・グロルニックのアドリブに重要な意味があるので、そこは採譜して分析したいと思います。

スティーブ・カーンはラテン・ジャズへの造詣が深く、パキート・ドゥ・リベラが離れた後のカリビアン・ジャズ・プロジェクトの基幹メンバーになり、彼のオリジナルを再演したり、オリジナルを書き下ろしたり、大きく貢献しています。それ以前のアイ・ウィットネスも最先端でしたし、彼の音楽から学べることは多くあり、いずれも私の興味の対象に合致します。

彼の父親は、アメリカ音楽史に燦然と名を残す、作詞家サミー・カーンであり、アメリカ発祥の音楽のまさに中心地に生まれ育ったような背景を想像しないではいられません。彼のバイオに詳しいわけではありませんが、少なくとも作品からは、とてつもなくスケールの大きい文化遺産をあちこちに散見することになり、興味が尽きません。


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