小山さんを(気持ちだけ)応援しています

DAZNでF1中継を相変わらず見ているのですが、下位シリーズの配信もされているのはご存じの通りです。昨年はF2をだいたい見ていましたが、そこまで時間も取れなくなってきて今年はF1と、新しく配信が始まったWシリーズのセカンドシーズンを見ています。日本人の小山美姫さんが、世界中から選抜された18人の中に入って、F1のサポートレースを戦っています。

Wシリーズ設立にまつわるドキュメンタリー番組が、DAZNで本年中は見ることができるようです。#1を見ました。現在#3までが公開されています。

イギリス人の女性弁護士によって、いわゆる一つの起業としてスタートしたWシリーズです。元F1ドライバーのデイヴィッド・クルサード(実際の発音ではコールサールと聞こえますけどね…)が相談役となり、出資者を彼が紹介し、元マクラーレンにいた方がディレクターとして加わりローンチされました。

100名を超える応募の中、くぐり抜けた50名くらいですかね、審査を兼ねたトレーニング合宿へ参加します。スポーツに必要な体力を備え、本性に負けん気の強さを持ち、将来のスターとなる、つまりF1、F2、F3、インディなどに進める潜在能力の有無を見極めていきます。

雪の降るローμのコースで行われる1対1のレースバトルでは、ウェットに強いフィンランド人と戦った小山さんが優勝を飾りました。#1では、次の選考へ進む半数のメンバーが発表され、番組が終わります。この先も時間があるときに見ていきます。もしかするとレース以上に興味深く、面白かったです。

日本人ドライバーが世界一を目指してヨーロッパで戦う姿の凄みは、F1へ届いたこれまでの数人の活躍で、しばしば見てきました。F1は、扉という意味では最後の部屋の入り口ですが、そこへ至るまでの途轍もない道のりには、あまり表に出ない本物の奮闘が存在します。下位カテゴリーのレースは、F1ほどスペクタクルではありませんが、そうした人間同士のぶつかり合いを垣間見ることができて、独特の楽しみ方ができます。

Wシリーズの選考の過程でデイヴィッドは「持てるもの」と「持たざるもの」を分けた、と言います。客観的にそれを判断されるのは、本人にとって本当にきついことです。勝者と敗者を、ゲームの中ではないところで区分されるからです。選考者へ強いアピールができたか否かが結果を左右します。

F1ルーキーの角田選手もそうですが、小山さんも言葉の壁にはぶつかっており、そのせいで悔し涙を飲むこともあるようです。主催する側から見て外人であっても、それを超える活躍を期待したいです。なんとか報われて欲しい。

私自身は、幼い時から戦うことを好みませんでした。勝てば嬉しいけれど、負けた人の悲しむ姿から、その悔しさを感じてしまうからです。そして申し訳ないと思ってしまいます。ひとつ下に妹がいて、幼少時の遊び相手は、この人だけですから、ただ1年でも年齢の差で、たいてい何をやっても勝てます。いつも勝って、いい気分に一人浸るということは、結局罪悪感の方が強く、なりませんでした。しかし、外で力の釣り合うもの同士でゲームを争う、というのも性に合いません。スポーツが本質的に嫌いなのは、こうしたところに原因があると思います。

先日、将棋を指しましたが、その幼い頃の感覚が蘇りました。先生の差配で、相手の方はハンディを負い、初対面の私と対局してくださいましたが、結果敗戦を味わうことになりました。勝った私は、やはり申し訳ないと感じました。たぶん、向いていないです。感情の無いコンピュータと戦う方が余程気が楽です。負ける悔しさが向上心に繋がる?、普通はそうなんでしょう。切磋琢磨というやつです。

その話は置いておいて、自分が持てるものなのか、持たざるものなのか、たぶん現在の状況を考えれば、後者であると認識した方が客観的には正しそうです。しかし、これは子育てする親のやり方が利いたのか、自身では「持てるもの」の側にあるとの主張を消すことはできません。誰に何を言われようともです。

自分の音楽の才能の程度などよくわかっていますし、今の演奏力のレベルだって、動画を撮ったりデモ演を録音すれば自分で判断できます。それにしても、まだ何かある、という諦めの無さについてだけは、他人に負ける気がしません。というわけで、負けん気の強さという奴を、ひっそりとどこかに隠し持っていました。雑談です。


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