活躍するロマン・グロージャン

ちょいちょいUSのインディカー・レースで、この昨年F1を去ったフランス人ドライバーがいい感じみたいな話が聞こえてきます。F1のハースで彼とケビン・マグヌッセンが頑張っていた頃は、幾度となく同士討ちがあって敵対関係になりましたけど、それだけ元々上手いドライバーがぎりぎりで意地の張り合いを見せるのは、どちらも好きだったので面白かったです。

グロージャンは今のところ12戦中3表彰台と好成績を収め、来期以降のフル参戦、あるいは上位チームへ移籍などの噂から、評価が高まっているのがわかります。そして本人も、若手はF1ばかり追うのではなく、インディに来ればいいのにと呟きます。

F1はイギリス的で階級闘争ですね。世界から選りすぐりの20人は、中で勝てるチームか、勝てないチームに振り分けられ、まさにそこが階級差となっています。同一レース内で、複数クラスが、各々のレンジでの争いをしている風です。近年、予算上限を作る取り決めが、勝利への機会均等を促していますが、以前は予算のかけ方がチームにより、数倍の開きで違っていました。開発力にそこまで差があれば、上位、中位、下位は自ずと決まってきます。

階級と言えば、めちゃくちゃ才能のあるドライバーと共に、桁違いの億万長者の子息が混ざっているのも伝統で、結構そういう人を見るのも楽しいです。今そういうお坊ちゃまが2〜3人いて、明らかに能力不足の所を、なんとかバックグラウンドの力で生き残ろうとする姿は、ある意味公平に思えて、それがそのまま残っているところがF1の良さの一つかなと言えるでしょう。

自動車レースを見るのが好きですが(若い頃は二輪も見ていました)、ずっと引っかかっている思いがあります。F1を例にとって言いますが、来年からこうなる、という競技ルールの変更は、今のレースは今年で見納めだな、という感情を生みます。F1は来年、大きく車両規定を変えます。そうした場合に、きっと今よりはつまらなくなるのだろうな、と悲観的な想像をしてしまうのです。

いつもそうです。来年、あるいはその先は、今よりもっとつまらなくなる、という予感を抱きながら見ているのです。それってなんでしょうね。私だけかな、この「終わる」感。いえ、翌年への楽しみというのは大きいんですよ。話題のルーキーがデビューするだとか、好きなドライバーのチーム移籍とか、毎年シャッフルがあるので、そこは面白くなることを期待できる要素です。でもなんか常に惜別の情にかられます。将来が暗い感じ。

例えば、イギリスとイタリアで予選レースという、本番のグリッドを決めるためのショートレースが実験的に開催されました。嫌な予感がしていましたが、蓋を開けてみると、やはり事前のテスト不足がもろに決勝レースでの綾を作ってしまい、壮大なじゃんけんをしているようなGPウィークに感じました。こんなのがレギュラー採用されたら、それこそ見切るべき時かな。

このような変革を次々にもたらすのは、F1の持ち主がUSの企業になったからで、収益を最大限に高めるためには配信や放送を伸ばそうと、波乱の多いレース展開へと仕向けているからです。これはUSらしい考え方に見える一方、USのレース自体には、そういう先行き不安を感じません。純粋に楽しく、競技を続けているように見えます。単純に力と技を競っているだけ、というシンプルさが理念のどこかにあるのでしょう、新天地でのグロージャンが楽しんでいる様子からも伺えます。

インディカー・レースはF1のように全戦中継を見るといった手段が無さそうです。あったら見るのに残念です。佐藤琢磨選手も現役を続けていますし。インディ500マイルレースでさえ、フルでの放送は無いんじゃなかったかな。Abemaとかでやって欲しい。課金で良いから。

F1はレースカーを作るチーム同士の戦いの場であることから、上に述べたような面倒が色々と起きてくる訳で、そういう意味ではチームを応援する見方がいいのかなと思います。前戦はマクラーレンの完全勝利となって、私は結構嬉しかったです。アルピーヌもルノーのブランドですから応援しています。今週末、ロシアのソチではどんなことが起きるでしょうか。いつ視聴の継続をやめるべきか、その見極めのために見続けているという変な事態に陥っております。



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