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就活の挫折、そしてその置き換え

今朝、大学の就職支援センターから電話が入った。

うちの大学はFランであるのだが、近頃は就職率を上げようと躍起になっている。その為か何なのか、『就活の進捗はどうか』という内容であった。

「そこそこ、今はどこも受けていないですね」と答えた。そう答える他無かったのだ。


四月に就活が解禁して三か月。年が代わった頃から内定の話も聞くようになってきていたし、熱心に就活をされていた方々はそろそろ終わったことだろう。おめでとうございますと言いたい。

ただここ数か月の私はと言えば、四月上旬に面接を落ちて以来、すっかり就活が怖くなってしまい忌避に及び、現在に至る。

なぜなのか、と言えば私の中の結論としては、まず受けたい企業、働きたい職が無かったこと。集団活動が苦手だったこと。人が集まる場所が苦手だったこと。皆同じ格好をするのが苦手だったこと。同回生、同じ年代の人間が苦手だったこと。自分について語る自己アピールのひとつひとつに抵抗があったこと。あとはもう、自前の強い希死念慮が苦労して生きることへの拒絶を示した訳で、四月時点で早々に鬱やその他のストレスを併発し生き長らえて現在に至る。

とにかく、リクルートスーツを着ている人間が恐ろしくて仕方ない。小中高の時は制服の人間が怖かったし、それの進化系のようなものなのだろうけれど、今も街角でリクルートスーツの人間を見ると、自分が攻撃されているような気持ちになって落ち着かない。勿論精神的にアホになっているのは自覚している。

あまり表に出さないようにしていた希死念慮もすっかり元気に活動し、毎日将来への不安を訴えている。

正直、今の私では就活をするよりも一日を生き延びるほうがよっぽど重要だししんどい。

と、いう訳で私は就活を放棄した。私は日本社会が要求する、四大を出て流れるように就職を果たすであろう、模範的な社会人にはなれやしないのだ。あとは親不孝と生まれてきたことへの罪悪感で地面に額をこすりつけて生きていこう。就職を迫られた時、その時はやるから、どうか今は少しだけ待っていてほしい。


という訳で挫折はしたが、この先の進路はほぼ決定しそうだ。私は大学院に進もうと思っている。

いくつか検討はした。とりあえず就活を先延ばしにするとして、先伸ばしている間の時間を何に使おうか、と。海外放浪の旅、留年、フリーター等々検討したが、少なくとも二年先延ばしにし、何かをした、という実績として、痕跡が残るものはきっと大学院であろう、ということだ。

幸いなことに、四年間、成績優秀者に与えられる奨励金を頂き続け、また、高校生からのバイトの蓄えを合わせれば二年は通える見込みとなった。

勉強は好きだ。就活の五千倍は好きだし、バイトの五百倍は好きだ。ならば、その二年間を決して無駄にはしないと誓えるだろう。教授からも金銭面さえクリアすれば、行けば良いと言われた。

大学院にも未来はない。私はド文系なので、世間の目は相当に厳しい。大学も、文科省も、何もかもが私の研究分野を不要と切り捨てている昨今である。

大学院を卒業すれば21年。オリンピックが終わった日本に対し、私はほんのわずかの期待も持てていない。今この売り手市場の先にあるものを私はまったく知らない。

学会発表が出来るのかも心配だ。私は人に怒られること、貶されることを過剰に恐れる。そんな私が、叩かれる場所に立てるのか。


…と、まあまあ、不安は山ほどあるが、それでも現時点で行う就活の、やりたいことも生きがいもないままに選択するよりはよっぽど良いと、それは胸を張って言える。

院試は二月だ。内部受験ではあるが、落ちることも十分にあり得る。ここで落ちたら指さして笑ってほしいし、私も多分退路を断たれてみずからに死ぬだろう。

教授は私が社会不適応者であることを薄々理解している。そんな教授が私に、「院に入るのに気負うな」と言った。モラトリアムでも、親不孝でも良いから。生きている、生存の為ならば何だってしても良い、と。これは今の教育者として正しい言葉なのか、私には分からない。ただ、私の目の前には死ぬか生きるかしかない。だから、生きる選択肢はこちらで正しいのだと思ったし、私はその言葉に少なからず救われた。

思いたい、だけな部分も強いけれど、とにかく私は、どうにかして日々を乗り越えなければならないのだ。この行先への不安から出る希死念慮を、どうにかして処理しないといけないのだ。

その為には、何が必要だろうか?


就活を終えた方々には祝福を。あなたがたの良き日々を祈ろう。今の私では叶えることが出来なかった人生を、その「人並み」を尊ぶのかどうなのかはわからないけれど、どうか、良い人生を送ってほしい。私はそれを祈っている。

私も、私の人生に幸が欲しい。不安なく日々を営み、不安なく眠ることが出来る夜が欲しい。もうしばらくは無理だろう。私の希死念慮は今日も元気だし、将来は不安に満ちている。

だから私は、何の為に生きているのかの理由がずっとほしいんだろうね。


今日、就学支援センターから来た電話に、「院を受けようと思っている」と返答をした。この先どうなるかわからない。それでも、選んだ道を後悔したとしても、多分選べただけ幸せなのだと、そう期待している。


日々のごはん代や生きていく上での糧になります