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フィクションの海に帰れるか

家の近くに図書館がある。徒歩でも片道一時間圏内で、私が生まれる前からそこにあった。子供の頃の娯楽と言えば、TVもゲームも漫画もあまり読めなかったからか専ら小説で、毎週通い詰めてはどっさりと本を借りて行っていた。本棚の隅から隅であったりとか、特定の作者の著作物全部、だとか、そういう乱読の仕方をいたく好んでいた。

あの頃の貪欲さは、他メディア、たとえばTwitterだとか映画だとか、そういう娯楽が出来てから失われてしまったし、ここ最近、ふたたび毎週通う日々が続いていたけれどそれも研究書だとか資料を探すばかりで、フィクションの娯楽小説を手に取る機会はあまり無かった。つまるところ、一週間に十冊程度読んでいたのが、今や一週間に一冊かそこらへんくらいということで、しかも読んだことある小説をぱらぱらとめくるだけの、開拓できない狭さというか。

小説は私の日々を乗り越える為にずいぶん助けてくれたものたちだったから、今遠ざかっているのはなんだかずっと寂しくて、アイデンティティが失われてしまったようで落ち着かなかった。


昨日、資料を借りる為に図書館へ行って、少し思い立って小説を何冊か借りてきた。それも、Twitterで教えて貰っていつか読もうと決意していた、読んだことのない小説ばかりを。ここしばらく、読む勇気も無かったけれど、このまま小説というものが遠ざかってしまうのは少し惜しい。私はまだ物語の中に溺れていたいし、新しいものを知るすべを失いたくはない。

休日の図書館は随分込み合っていた。久しぶりに入った小説棚付近には、老若男女問わず、たくさんの人がどっさりと小説を片手に右往左往していて、やっぱり羨ましくなってしまった。

日々のごはん代や生きていく上での糧になります