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毎日お風呂に浸かるために変えたこと

人はなるべく毎日お風呂に入った方がいい。それもシャワーで済ますよりは湯船に浸かる方がいい。それは厳然たる事実だ。それにもかかわらず人はシャワーで済ませてしまう。人はお風呂に入るのが面倒だからだ。出だしなので主語を大きくしてしまったが人は、というか、自分はそういう人間だった。

今から伝えることはそんな自分が毎日お風呂に浸かる生活を送るために去年あたりから変えて効果を実感していることだが、これによって突然毎日お風呂に浸かれるようになるといった劇的な変化は期待しないでほしい。人の行動というものは確率的な現象で、今までの習慣が一発で突然全て変わるということはない。ただ、これから紹介する工夫は自分がお風呂に入るという行動を選択する確率を10%とか20%とかずつ高めるための強化魔法のようなもので、それらの重ねがけによって結果的にほぼ毎日お風呂に入ることができている。劇的な変化も原因は一つではなく、全ては小さな変更の積み重ねで起きることだ。

お湯を張る前ではなく、お風呂を出た後に浴槽を掃除する

これが最初にして最大の変化だ。人によっては当たり前のことが、育ってきた環境によって全く違ったりする。自分の実家はお湯を張る前の段階でお風呂を掃除する習慣があり、それを疑うこともなく所与の条件として引き受けていた。他の選択肢など考えもつかなかった。
しかしある日ポッドキャストの収録中に友人の鉄塔さんがとこともなげに発した「うちはお風呂入った後に洗ってますね」という言葉に自分は目から鱗が落ちた。ミステリーでいうところの点と点がつながり線になった。

確かに、お風呂に入る前ではなく出た後に洗った方が効率的な上に衛生的だ。お風呂に入る前に洗う場合、浴槽の汚れは我々が次にお風呂に入るまで放置されている。夕食に使った食器が翌日の夕食までシンクに置いてあるようなことだ。その放置時間が長くなればなるほど汚れはこびりついて雑菌は繁殖し、きれいに洗い流すことは困難になり、それがまた洗うことを面倒くさくさせる。そこには負のサイクルが働いている。

そして、湯を張る前のめんどくささと戦う弛緩した時間と違い、お風呂を出た後には「今だ!」というお風呂を洗うべきタイミングが存在する。それは髪を乾かしたり歯を磨いたりしている合間だ。「ついで」は習慣づくりの重要テクニックである。この「ついで感」を利用することで、お風呂洗いを一気に畳み掛けることができるのだ。。

お風呂を出た後に洗えば、汚れはこびりつく前だし、翌日はサッとシャワーですすげばすぐにお湯を貯め始められる。お風呂への第一にして最大の難関である風呂掃除を実質スキップできるこの変更は、その後の風呂の入りやすさに絶大な影響を与えた。私はこれを令和の風呂革命と呼んでいる。
さらに、この変更は次の変更との相乗効果を発揮する。

バスマジックリンをこすらない

自分も去年までバスマジックリンをスポンジでこする側の人間だった。確かにパッケージに「こすらないで1分ほど放置したのちにシャワーで流せばOK」と書かれてあるが、そうは言われてもこすらないと洗えた気がしない。というか事実洗えておらず、ただでさえお風呂に毎日入れてないので、最後に入って数日経った浴槽の汚れはこすらないと落ちない。それに、コスト面での問題もある。こすることなく泡で浴槽の内側をもれなく満たすためには、こする場合と比べておよそ2倍のプッシュ量を必要とするのだ。自分がこする側に立っていたのはそういう理由からだった。

バスマジックリンをこするためにはどこかに引っ掛けるかなんかしてあるスポンジを取って、お湯で濡らして、腰をかがめて浴槽をこすり、スポンジを洗って絞り、またどこかに引っ掛けるかなんかする必要がある。この手間のめんどくささがソファに寝転がっている自分を風呂洗いから遠ざけ、結果として風呂に浸かれない日々に繋がっていた。

しかし、前述の「後洗い方式」との組み合わせによってこの問題は消え去った。バスマジックリンの「こすらず落とせる」は毎日の風呂掃除を行っていて汚れがそこまでこびりついていないケースを想定している。汚れが出た直後に洗う後洗い方式であれば、このケースにマッチしている。
これならドライヤーをかけたり歯を磨いたりしている合間でも、手を濡らしてスポンジを絞ったり煩雑な思いをすることなく片手間に風呂を洗うことが可能なのだ。身体を拭いた後に風呂にマジックリンを満遍なく噴射し、あとは悠々と歯を磨き終わったのちにシャワーで浴槽をサッと洗い流す。計算し尽くされたエレガントな工程。まるで熟練した殺し屋のような手際の良さだ。

後者のコスト問題についても、以下のように考え方を変えることで解決した。
まずそもそも、バスマジックリンは安いのだ。他の洗濯用洗剤や食器洗剤と比べても明らかに単価が安い。820ml入っている特大サイズの詰め替え用が300円で買えるのだ。花王は俺たちが背中を曲げなくていいように並々ならぬ企業努力でこすらず落とせるバスマジックリンを開発して、そのうえコストを気にせずドバドバ使えるように安くしてくれている。腰を曲げて節約できるコストもせいぜい一回5円とか10円とかそこらだろう。10円をケチって湯船を逃すなどそれこそ本末転倒だ。それならばジャバジャバと泡を使ってこすらず流すのが花王としても本望ではないか。花王に感謝しながらAmazonで詰め替え用を2パック購入して、なくなったらいつでも継ぎ足せるようにしよう。


風呂に本を持ち込む

風呂に入っている時間は基本的に何もない時間だ。現代人にとって貴重な余白ではあるものの、何もないがゆえに浴槽にいてもさっさと出てツイッターを見たくなってしまう。
コロナ禍で電車での通勤時間もなくなり、落ち着いて本を読むべきタイミングというものが減少してしまったので、風呂に入っている時間を本を読む時間にした。周りに邪魔になるものがないし、小説なんかを読むのにもちょうどいい。これも前述の「ついで」の力で風呂に入りやすくする戦法である。「風呂に入らなければいけない」だけだとMPが足りない時も「ついでに読書タイムでもするか」と合わさることで動けるようになることがある。

Kindleとかも最近のやつは防水機能がついていて湯船の中に落としてしまっても平気だ。
ただ、どうしてもKindleは操作性が悪く、水滴で誤作動してマーカーがひかれたり鬱陶しいところがあるので、最近では紙の本を堂々と湯船に持ち込んで読んでいる。
実際やってみるとわかるが、紙というのは丈夫な素材だ。昔の文庫本とかでもないかぎり、多少濡れたところで破れたり滲んで読めなくなったりすることはまずない。せいぜいヨレる程度だ。後に残るのは本を傷めたくないという理由だろうが、自分はもともと本に線を引いたり折り目をつけたり汚しながら読んでいた方なので、濡らしながら読むことにそこまで抵抗はなかった。前述のように本をあまり読めてなかったというのもあり、ツルツルの読まれてない本よりボロボロの読まれた本の方に価値を置くことにした。
これには各自異論もあるだろうが、「紙の本を風呂で読んでも良い」と割り切れることは自分にとって気持ち的にも良い効果があった。

ちなみに、本を読んでいて時間が経ちすぎるのが心配で風呂を出てしまう、ということがあったので、無印の小さな防水置き時計を洗面所に置いて、風呂に入る時に持ち込むようにしている。風呂に入っている間のみならず、朝の忙しい時間とかでも洗面所に時計があると何かと助かる。

こんな感じで、主に「お風呂の準備のめんどくささを減らす」「お風呂に入ることを楽しみにする」の2方向からの改善策を重ねることでお風呂に入れる確率を高めている。他にも使えるテクニックを知っている人がいたら教えて欲しい。

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