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1年目を振り返る

あっという間に「1年目」が終わる。びっくりするくらい早かった。

徒然なるままに、振り返り。

「社会人、楽しいよ」と言える日々

思い返せば、19卒は初めてのGWが10連休だった。
慣れない1か月間を終えて、大学の同期や後輩に会ったりして。
その時に、自分が発していた言葉は「社会人、楽しいよ」だった。

正直、同期からは反感を買った。笑
「今話したいのはそんなことじゃなくて、『シェアつら』なんだって」、と。そりゃそうだ。ごめん。でも私は仕事が楽しい。楽しいんだ。変態かもしれない。

元々勉強も好きだし、インターンも好きだった。
けど、「社会人1年目」には私も不安が大きかった。

そんな私が「仕事楽しい」を思えたのは、

①周りの人に恵まれていたから
②「社会」と「組織全体」と「私の仕事」を繋げてくれたから
③やりたいと思ったときに意見を潰さずに任せてもらえたから

この3つがあったからだと思う。

それぞれ、ひとつずつ、語らせて欲しい。

①周りの人に恵まれていたから

この1年は、本当にこの言葉に尽きる。月並みな表現だけれど、本当に周りの人に恵まれていたと感じる。

自分のことを理解し、的確な言葉をくれる上司。
優しく、いつもあたたかくフォローしてくれる、母のような存在の先輩。
一つ質問をすれば、理解できるまで真面目に教えてくれる先輩お兄さん’s。
末端の私にも声を掛けてくださる経営層の方々。

真面目な仕事だけでなく、時にゆるっと会話したり、いじったりいじられたりできる心理的安全性の高さが自分はとても心地よかった(生意気でごめんなさい)。

社交的内向型という謎な体質を持つ私が、半年足らずで、自己開示できたのは奇跡に近いと思う。

本当にみなさんの懐の深さに感謝。

②「社会」と「組織」と「私の仕事」を繋げてくれたから

これは本当に上司に感謝している。
入社したばかりの時に、人事には「管理部門は特に地味で単調な仕事が多くて、最初は辛いかもだけれど…」と言われていた。
実際、世の中の社会人1年目はそうであることが多いと思う。

でも上司は、いつも自分の仕事が、全体とどう紐づいているのかを丁寧に説明してくれた。一つひとつの数字がどう全体に影響するのか、私の仕事はどこを担っているのか。

だから、私は「今なにをやってるんだろう…」「なんでこれやってるんだろう…」みたいな気持ちになることがほとんどなかった。

元々仕事の意味づけは得意なほうだけれど、自分で意味づけていくときは、自分の知見の範囲内でしかできない。
だから、上司との会話で、今までに見えていなかった奥行きが自分の仕事に見えて、ちょっと誇らしかった。

③やりたいと思ったときに意見を潰さずに任せてもらえたから

これも周りの人に感謝している。
ルーティンで仕事をしていると、なんとなく「こうしたほうがいいんじゃないか」みたいな意見が出てくる。みんなあると思う。

普通(何が普通かは置いておいて)だったら、1年目の意見は「戯言」でしかなくて、会社や部のそれまでの歴史や意思決定を知らないのだから、意見は取り上げてもらえない。
そんなことは成果出してから言え、と。そういうイメージだった。

でも、「こうしたい」と思ったときに、相談に乗ってくれて「いいんじゃない?」と前向きなFBをくれる環境だった。だから、より当事者意識も生まれたし、より良い状態を目指して、少しずつ改善していくのが楽しいと思えた。

***

もちろん、仕事の内容も楽しい。常に飛び交う言葉が専門的で学ぶことがたくさんあって、勉強が好きな私にとっては毎日刺激的。

でも、上司が自分を蔑ろにして、自分の仕事が何に繋がっているか分からず、お前の意見何ぞ戯言だ!と言われる日々だったら、どれだけ学びが多かったとしてもこんなに前向きに楽しく働けていない。

だから、周りの人に、死ぬほど感謝した1年だったなと思う。本当にみなさん、ありがとうございます。

この1年で変化したこと

本当にたくさんの学びがあった。パンクするくらい、新しいことがたくさん入ってきて。

業務はもちろんのことなのだけれど、この1年で価値観が変わったり、在り方が変わったりしたことがたくさんあるな、と思う。

それについて、特筆すべき2つを。

「キャリアプラン」に取り憑かれなくなった

大学生活では、無限に時間があった。

だから、「自分はどんな人になるのか」についてプラン建てをして、どんな授業をとるか、どういったサークルに入るか、どんな人と過ごしてどんな経験を得るか、を決めていた。

そうでもしないと、何もしない間に過ぎ去ってしまう気がして。

就活でも、「10年後のキャリアプランは?」とか、「あなたはこの会社に入って具体的に何がしたいの?」って散々聞かれた。
プランがなければならない、そんなような感覚だった。

そんな私が、5月の宿泊研修で出会った人は、このようなことを言っていた。

私は元々、行動する前によく考える人でした。就活時には、人生の35か年計画を立てていて。「なりたい自分」を考え、そこに至るまでの最短距離は何かを考えて行動していました。
あるときにその計画が崩れる経験をしてから、「心に従って動く」ようになりました。利害や効率、その先の展望や計画を考えるのではなく、その時に「心に湧き上がってくるもの」に素直に耳を傾ける、そうすると自然に道が拓けていくのです。

あー。35か年計画、これ自分だ、とその時に感じたのを覚えてる。
この研修の時点では、「自分は35か年計画タイプの人間なんですけど」を前置きに、色々なことを質問した。

無計画なことへの恐怖心もあったし、なんとなく腑に落ちてはいなかった。

***

そのあと、1年かけて色々な経験をする中で、この「キャリアプラン」の呪縛から抜け出せるようになった。

まず、私が配属されたのは、もともと想像していた部署とは違う部署だった。
他に強い希望があったわけではなかったけれど、初っ端から「プラン外」だった(笑)

でも目の前にある仕事に取り組む中で、「これは奥が深い……」と楽しくなっていった自分がいて。偶然の出会いを大事にしたいと思えたことが大きかった。

他にも、本を読む中でいろんな言葉に出会い、

近代的人間は「自分とは何か」を深堀してアクションを繰り返す。ゴールがあらかじめある。
しかし、これからの時代は「とりあえず目の前のものをやってみたら結果が出て…」を積み重ねていく、いわゆる「わらしべ長者型」だ。
キャリアは偶発的に生成される以上、中長期的なゴールを設定して頑張るのはむしろ危険であり、努力はむしろ「いい偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべきなのです。

なるほど、そういうことか、と。

今、大事にすべきは「具体的なキャリアプラン」ではなく、
偶然の出会いを自分のものにするための「スタンス」とか、課題を見つけられる「センス」を磨くこととか、そういうものなんだ、とやっと腑に落ちていった。

「キャリアプラン」の呪縛の怖いところは、分かり易いところにあって、自分がなぜそこにいるのか、自分はいまどんなフェーズにいるのかを説明できる。自分を納得させやすいんだな、と。

でも「スタンス」や「センス」って色々な経験の積み重ねで生成される、すごく事後性の高いもので、分かり易い「プラン」に飛びついちゃだめなんだなとしみじみ反省した。

(頭の中に、ぼんやりと、スティーブ・ジョブズの「Connecting The Dots」が浮かびながら…)


「いい子」でいるのをやめた

12月某日、異動を目前に控えた上司から言われた言葉
「いい子でいなくてええんやで」
「完璧を求めすぎなんや」

「完璧主義」なのは、そう。分かっているけど、なかなか抜け出せない。でも、「いい子」でいたつもりはまったくなかった。
だからちょっとびっくりしたところもあった。

でも、思い返せば、何か発言するときの枕詞は、「これは私が言うべきではないとは思うんですけど…」だし、執行役員の人に「メールがバカ丁寧で長い、全部読めんわw」と𠮟られたこともある。

それは、本質的なところが見えていなくて、へりくだっているのではなく、顔色を伺い、ただ盲目的に自分を下げているだけだった。
「謙虚でいること」とは全く違う。

インターンの時に、自分と同じ学年の子たちとうまく話せるようになるのに時間がかかったのも、歴の浅い自分を盲目的に卑下していたからだと思った。

上司がどういう意味で「いい子」という言葉を使ったのかは分からない。

でも自分はハッとするところがあって、ある意味これも「呪縛から解放された」ような気持ちになった。

それ以来、ちょっと気持ちが楽になって、盲目的に自分を下げることは少なくなった気がする。まっすぐに、仕事できている気がする。

**2年目の足音 **

オンライン飲み会してたら、突如自分の「1年目卒業式」が始まった。

嬉しい。まさかの展開。泣ける。

1年目卒業式おめでとうは、1年目でいられなくなって、2年目になったことを意識させる。
文化人類学的に言えば、通過儀礼。これを経たことによって、わたしは2年目になるのです。

今までは、毎日出会うことが初めてのことだった。裏を返せば、「初めて」を蓑に逃げることもできた。

でも、それも今日からはしない。できない。
やっとどこから見ても部署の一員なのだから、意識だけでなく自分は当事者になる。

当事者といえるには、まだ膨大な知識と経験の壁がある。それでもやらねばならぬ。

Poco a poco でがんばらなくちゃ。

*****

がねっちさん、
メンターについてくださったのが、がねっちさんでよかったです。受け止めてもらえる安心感があるからチャレンジできます。いつも助けてくださりありがとうございます。

ぴらせんぱい、
普段はいじられますけど、本当にしんどい時に勘がよく、優しい言葉をかけてくれるのはぴらさんです。甘やかしてくださってありがとうございます。

ママ、
誰にも言えないような辛さを吐き出せるのはママです。泣いてる時に「うちの娘になんてこと!」と言ってくれるママが好きです。娘の独立には時間がかかりそうです。これからもよろしくお願いします。

ありさん、
お仕事を引継ぐにあたり、悩んだこともありました。でも、私の拙い投げ掛けに、150%でサポートしてくださり、とても助かっています。ありさんだから相談できることも。たまにの電車タイムを心待ちにしています。

ぽっぺさん、
おこがましいですが、私と似てる性質がある気がして、どうやったらぽっぺさんみたいな仕事ができるかチラチラ見ています。ひとつひとつの処理の仕方、対応、なにをとっても憧れです。

よしおさん、
ひとつ聞くと、絶対分かるまで教えてくださって、それを負担だと感じさせない懐の深さにいつも感謝しています。お兄さん'sが淡白な時にいちばん優しいのもよしおさんです。これからも助けを求めます。笑

けいすけさん、
一番近く、一番悩み、一番助けていただきました。何度けいすけさんに長文のLINEを送ったかんわかりません。笑
私の度々の拙さにも、手を差し伸べてくださりありがとうございます。

うめパパ、
言葉をいただく時は、何よりもあたたかみと重みがあり、どれだけ見てくださってたんだろうとハッとさせられることしかありませんでした。距離はありますが、2年目の私を見せます。

かおりさん、
6/1、これは運命の出会いだ!と高鳴ったのは大正解だったようです。上司になってくださり、たくさんの愛をくださりありがとうございます。今目指すのは、かおりさんの右腕です。2年目もよろしくお願いします。

けいとさん、
こんな感じで1年間たくさんの愛をここで受け取ってきました。こんな社会人生活、想像してもなかったです。このあたたかさを共有できることをとても楽しみにしています。

皆さんに、愛を込めて。
2020.04.01

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