東日本大震災を訪ねて①
学生最後の長期休暇。
今年で長期の留学を終える友達に、最後に旅行するとしたら、どこに行きたい?って聞いたら
「東日本大震災の被災地に行きたい」
って言われた。
自分の目で見て、海外の人にも伝えたい。
そんな気持ちを聞いて、普段から尊敬してやまない友達だけれど、さらにその気持ちが強くなった。
是非一緒に行かせて欲しいと言い、
3.11を訪れる旅に決まった。
そして、今日が初日。
見たこと、聞いたことを忘れないように、いま、書き残さなきゃって思って、夜な夜なつらつらと書いてる。
1日目-1 福島県 いわき・小名浜エリア
東京から電車に揺られて4時間。
実家がある藤沢からだと6時間…!
福島県の南東に位置する、いわき市の小名浜へ。
朝からずっと電車に乗っていたので、とりあえずごはんを食べよう、と、小名浜で人気の海鮮のお店へ。
うろこいち(いわき・小名浜)
ウニ!まぐろ!しめ鯖!蟹汁!!!
とにかく最高。
しめ鯖なんて、この量で700円だからすごい。
東京の居酒屋だったら、これの1/3しかのっていないと思う。
………
ちょっと脱線してしまったけど、お腹が満たされたので、本題へ。
うろこいちから歩いて10分ほどのところにある、「ら・ら・みゅう」といういわき市の観光物産センターへ。
このららみゅうの2階に、震災資料館があるのです。
「ら・ら・みゅう」2階 震災資料館
2011年3月11日、まだ中2だったなと思い出す。
あの日はなぜか、学校に行きたくなくて、学校をサボって家にいた日に地震が起こった。
まだ生後1ヵ月だった弟を抱いた母が泣きそうになってたこともあり、少し冷静にNHKを見ていた気がする。
TVに映るのは、あまりに現実離れした光景で、現実だと認識していなかったのかもしれないなぁと考えながら、展示を見た。
いわきエリアも、最大8.57mの津波。
70cmの津波は致死率70%ほど、1mなら致死率100%らしい。その8倍の津波。
このパネルに、
地震が起きたのは14:46、津波が到達したのは15:39、この時間差をどう捉えるか。
という文字が。
約1時間あったら、逃げられた?
大きな揺れ、余震もあって動揺する中で
そんな冷静な判断できるのかな。
岩手・三陸地域には「津波てんでんこ」という言葉があるらしい。
親も子供も兄弟も、人のことは構わずでんでんバラバラに逃げろ、という意味。
家族のためにも、自分の身は自分で守れるように……。考えさせられる言葉だった。
ひとり暮らし始めたら、防災バッグを置こう。
この展示エリアには、他にも避難場所の再現ブースや、当時の映像、新聞、現地小学校での制作物など様々なものがあった。
とても1時間じゃ見きれない。
被災者の人の言葉が抜き出されたパネルを見て、何度も泣きそうになった。
1日目-2 楢葉町
後半は、少し足を伸ばして楢葉町へ。
(福島県のHPからもってきた)
楢葉町は、3年半前にやっと、避難指示解除準備区域から解除された。
その北にある富岡町にいたっては、解除からまだ2年経っていない。
降りたのは、JR常磐線の竜田駅。
去年の10月までは、この竜田駅が常磐線の終点だった。今は、もう一つ先の富岡駅まで行けるようになっている。
駅を降りると、観光案内図が。
…当たり前のように、放射線量測定器があった。
「光と風のまち・ならは」
測定器のせいで、この言葉が皮肉に聞こえてしまう。
…………
20分ほど歩いて、展望台のある天神岬へ。
みるーる天神・展望台
海沿いに発電所関連施設がたくさん見えた。
福島原発こそ見えなかったけれど、火力発電所から風力発電まで。
東日本大震災の復興記念碑が立てられていた。
このすぐ横には、子供用の大きな遊具があって、公園になっていたけれど
遊んでいる子供は一人もいなかった。
すれ違ったのは、犬の散歩をしていたおじさんくらい。
よくある、子どもが乗ったり座ったりするやつ。
地震や津波への意識を高める工夫がされている。
至るところに、地震や津波に関する情報が。
…………
往復で1時間ほど歩いたのに、やっぱり人は少なかった。
夕方だったからなのかな。
いま、この楢葉にはどのくらいの人が住んでいるんだろう。
…………
ホテルに帰って、TVでNHK福島を見ていた。
ずっと震災の話題が流れていた。
東京のニュースじゃ、震災の話題はあってもすぐ終わってしまう。これが関心の差か。
芸能人のスキャンダルはどうでもいいから、こういうのをもっと流して欲しいなって思った。
明日は、宮城へ。
(2019.3.8)
▼続きはこちらです。
https://note.mu/snflwrsd0/n/n1c38904a08e9
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