女性 少人数が好き 穏やかに過ごしたい 夜の外出、夕日、昼のチャイム、朝の鳥の声
雨のない間聞こえ続ける虫の音。 どんなにどんなに絶望を味わっても、自分の中で期待は湧き出続ける。恥ずかしいことと思っていたけど、自意識過剰と思っていたけど、まだ自分の中に生命力が残っているという事実に気付く。うまくいくわけではないのに、何故心が死んでいないんだろうか。子供達の存在だろうか。自然からパワーを貰えるのだろうか。
駆け抜けた夏。 途中倒れそうになったけれど、やりきった夏。 暑くて暑くて、会う人と「暑いね」と言い合った夏。 ちゃんとゆっくりする時間もあった夏。 やりたいことに出会えた夏。 痛みと苦さを噛み締めた夏。 にこにこ笑って過ごせた夏。 やってできないこともないなと思えた夏。 原点回帰の夏。 しっかり恨みを蓄えた夏。 心が四方八方に芽を出した夏。 2か月があっという間に過ぎ去って、こんな言葉を紡げるような時間だったと思い返す夜。薄暗い寝室で、子どもたちの寝息と鈴虫の音をききながら
海の上を舞うしおがそのまま陸に繋がっているような、湿気で飽和したぬるい空気の中で生活する。まだ夏が来ていないのに、バテて心まで負けそうになっている。 何歳の頃に戻りたいのか、と自分に問いかける。昔は何も考えず楽しかった学生時代に戻りたかったけれど、今は違う。戻っても戻っても、結局同じ人生だと思うとやり直す気にはならず、今を楽しく生き生きと過ごしたいと思える。手に入らなかったものについて、他人への嫉妬心はきっと拭えないけれど、執着心がふわっとしてきた様な気がする。やり直して
朝は車の音もなく静か、昼は新幹線の走行音と遠くからする演習の地鳴り、夜は蛙の鳴き声。2、30年前は感じなかったけれど今は聞こえる音と、思い出深い懐かしい音。 この夏。何がどう転んだとしても、家族全員健康で、楽しみ切りたい。海とイベントに足を運んで、家では休む。
毎日変わらず聞こえる、鳥の鳴き声で目覚める朝。 自分の感情をコントロールするのが難しい。頭の中を整理しようにも、ごちゃごちゃしているんではなく、周りに薄黒い煤のようなモヤがかかっている感じ。何回、ここを通るんだろう。通りたくない。
機械の除湿に頼る日々。 人の心や環境の移り変わりに翻弄され続けている。外に出るとそんな感じなので、家庭で過ごす時間くらいは自分の思うように。植物を育て始めたり、ずっとやってみたかったこと全部に少しずつ取り組み始めたり。 今月は今しかできないことの種まき期間だった。全てに目を行き届かせることが、これからの目標。頑張らずにまったりぬくぬくと。
今年は毎週楽しみにして、大河ドラマを見ている。リアルタイムでは見れなくても、子どもを寝かしつけてすぐか、寝てしまっても翌朝早起きして見ている。きっとドラマドラマしているから、歴史が好きな人からは色々言われるかもしれないけれど、私は毎週とても楽しみにして見ている。紫式部や清少納言に関する本も図書館で借りて読んだりしている。(私の性格は完全に紫式部寄り。誰かの解釈によると。) 次週予告で、枕草子の一文が読み上げられていた。さほど国語に興味なく受験勉強しかしなかった私でも覚えて
鳥の鳴く声で起きることが少なくなって、耳を澄ますと地面を叩く音が聞こえてくる。季節の変わり目を感じる朝。 いっぱいいっぱい。渦中にいるとひたすら疲弊、感情的にもなって自分を責めてしまう。通り過ぎると、もう少し違うやり方ができたのではないかと思える。 感情を爆発させている人は、その時の自分を必死に生きているのかもな、力添えしたいなと、思う。その前に自分をどうにかしないと、また暗い方へ向かっていきそうなのにこの思考。自分中心の地に足のついた人間になりたい。