見出し画像

離人症体験談

離人症ってご存知ですか?

またの名を現実感消失症。

症状としては、自分の精神、感情、感覚などが自分から切り離されたように感じ、自分がロボットのように感じられます。

強いストレスを感じた時などに起こるそうですが、私の場合は、15年飼った猫を亡くした時になりました。

この時の体験談について書こうと思います。

猫は、2018年7月14日土曜日の朝に家族に見守られ亡くなりました。

亡くなる1か月前からあまりご飯を食べなくなり、水も少ししか飲まない、1日中寝てるという状態が続いていたので、覚悟は出来ているつもりでした。

それに15年生きたので、長生きな方だと思います。

以前にも他の猫を亡くしたことがあり、当時は小学6年生でしたが、その時は、数日落ち込んだ後に「悲しいけど、もう大丈夫」となりました。

なので今回も大丈夫、と思いました。

ただ1人になりたかったので、当時1年付き合っていた彼氏に別れを告げました。そんなにうまくいってなかったし、もういいかな、って。

今思えばそれもおかしい話です。猫と彼氏は別。そしてもっと彼氏に話を聞いてもらうべきでした。

でもその時の私は、1人になりたい、彼氏と付き合うのはめんどくさい、1人の生活を楽しもう、猫のことは悲しいけど私は大丈夫!って思ってました。

ですが異変に気づいたのは1週間後。

家族に、痩せたんじゃない?って言われ、ああそういえばめんどくさくてこの1週間ご飯まともに食べていなかったなー、と。食欲もあんまりわかなかったし。

思い返せば1日におにぎり1個とか、カロリー取っとけばいけるっしょ!とカロリーメイト1本とか。 それもお腹が空いたから食べる、というよりは、そろそろ何か食べておかなきゃいけないかなあ、って思って食べてました。

体重計に乗り、驚きました。もともと46キロだった体重が、40キロまで落ちてました。1週間で6キロ落ちてたんです。

そのときに、初めて、あれ?私、病んでる?って思いました。

これはまずいな、と思い、私がとった行動は「できるだけ猫のことを思い出さない」でした。

悲しい気持ちを封じ込めてるうちに、馬鹿な私のことだから忘れるだろう、そうして日常生活に溶け込んでいくだろう、と思ったんです。

フロイト大先生の言葉をお借りすれば「悲哀の仕事」をサボりまくったんですね。

対象消失(大事な何かを失った時)の悲しみを受け止めるには正常なプロセスがあるんです。正しい段階を踏まなければ、うつ病などになりかねないそうです。みなさんは無意識にされているそうですが。面白いのでまた調べてみてください。

そう、私は間違ったプロセスでこの悲しみをやり過ごそうとしてしまったんですね。

悲しみを見て見ぬふりしたんです。

とにかく、考えない。考えそうになったら映画を観る。たばこの喫煙量も増えました。バイト中は何も考えずに済むので、ひたすらバイトをしました。そして、人に猫に関する質問をされないようにする。家族にその話題を振られても避ける。

とにかく、悲しい気持ちを押さえ込んで、過ぎ去るのを待ちました。体重はなかなか増えず、あと夜も眠れなくなりましたが、まあこれも一時的なものだろう、と思いました。

そのまま過ごしていると、ある時、友達と遊んでいる際に、ふと、あれ?楽しくないな?って思ったんです。

大好きな友達です。一緒にいるとくだらないことでケラケラ笑うことができる友達です。

友達と話す私は楽しそうに笑っているのに、もう1人の自分が冷静に上から見下ろしているんです。無表情な自分が何も考えず、笑っている自分を眺めている、って感じでしょうか。

その時は、あーなんかまだ病んでるんだなあ、って思ってました。

でも今日はたまたまそうなだけで、そのうちこれも消えるでしょ、って思ってました。

ですがそれから、どの友達といても、常にその"無"の自分が私の上にいて、私のことを眺めているんです。私が笑った時には、本当に楽しいの?とどこからか声が聞こえるようでした。

さらには、日常生活の中でも、例えば自転車で駅に向かう時にも、その"私"は常に私の上にいるようになりました。

自転車は私が漕いでいる。足も交互に動かしている。前から人が来る。避ける。信号が赤になる。止まる。その行動は全て"私"がしているはずなのに、ちがう誰かがしているように感じられました。

意識が私の頭の中にないんです。頭の上の方でふわふわ浮いていて、私が動かそうとしていないのに、勝手に体が動いているんです。それこそ、プログラムされたロボットのように。

そしてそのとき、"私"自身は、眺めているんです。その動いてる自分を。けど、動いているのも"私"なんです。

ややこしいですね。

そろそろ、あれ?なんかこれおかしいなって思うようになりました。

その時は、離人症という言葉を知りませんでした。なので、何が起こっているのか、それとも世間一般によくあることなのか、もわかりませんでした。

ただ、いつもとちがうことが起こっているのはわかりました。

楽観的な人間なので、最初は、なんかすげえなこの感覚、しばらくこの感覚を楽しもうかな、このままいくとどうなるか試してみようかな、とか思っていました。

ですがある時、バイトでミスをして社員さんに怒られました。普段の私なら、次は気をつけよう、だとか、理不尽なことで怒られた!だとか、迷惑かけて申し訳ない、だとか思うでしょう。

けど、その時の私は、あーなんかこの人喋ってるな、って思いました。無意識にです。怒られたことに対して、なあーんにも思いませんでした。私の上に浮かんでる"私"が私が怒られている様子を静かに見てました。イメージとしては、頬杖ついて、だるそうに。

家に帰ってから、あれ、ダメなんじゃない?って気づきました。

迷惑をかけて、なんにも感じないって、ダメじゃない?それなら、多少は落ち込む方がましなんじゃない?人として。え、私、人として、ダメな人間になりかけてる?

そこで初めて、今の自分を改善しなきゃいけないと思い、どうして自分はこうなったのか、をちゃんと考えました。

以前なら楽しめていたことも楽しめない、怒られてもなんにも感じない。自分が自分じゃないように感じる。私の感情はどこにあるんだろう?

悲しみの感情を塞ぎ込んだから、その他の感情も全て塞ぎ込まれてしまったんだ、という結論に至りました。そして、感情が自分から切り離されてしまったんだ、と。

感情を取り戻すには、まず、私が避けた"悲しみ"に向き合わなければなりません。そこからは非常に辛かったです。非常に。

意図的に悲しむことなんてしたことがありませんから、どうすればいいかわからないまま、とにかく死んだ猫のことを思い出しました。

顔、鳴き声、しっぽを触ると怒るところ、毛の感触、夜寝る前には必ず私のところに来てくれたこと。そしてそれら全てを失ったこと。

人前で泣きたくはないので夜にひたすら泣きました。毎日泣いて泣いて泣きました。

耐えれなくなり朝の5時に寝ている母を起こしたこともありました。

猫の夢を見て、夢の中なのにずっと、この子また死んじゃうんじゃないかなあって怖くて、起きてから仕事中の母に泣きながら電話をかけたこともありました。

あの時はほんとお母さんありがとう。

もう無理、って思うぐらいまで落ちて落ちて落ちました。

ひたすらに泣くその状態は半年続きました。

もう大丈夫、って思ってもお風呂で思い出して泣いたり、寝る前に泣いたり、を繰り返し、そしてその回数は徐々に減りました。

そして、はっきりといつからかはわかりませんが、友達と過ごすときに楽しめてる自分がいることに気づきました。

ある時気づけば、自転車を漕いでいる私は、私でした。

右足を出して、左足を出して、人が来て、危ないから避けないと、もっと端っこに寄りなよ、って考えて、あ、わんちゃんかわいいなあ、ってよそ見して。

ちゃんと私が自転車を漕いで、私が、考えていました。

猫のことを思い出さない日はありません。また会えたらいいなって思います。夢の中でもいいし、生まれ変わったら会いに来てくれたらいいなって。

体重も戻りました。

大体猫が死んでから1年ほどで完全に復活しました。

超楽観的な私にしては、長くかかりました。

もし、何か悲しい出来事があった時は、悲しみから目を背けないでください。辛いですが、向き合うしかありません。

人間の体って都合よくできてなくて、たぶん悲しいとか楽しいとか嬉しいとか怒りとかって感じるところが一緒なんでしょうね。

離人症の体験は今思えば貴重な体験でした、そんなことを言ってはいけないかもしれませんが。でも、あのままいってたら怖いなって思います。

心が私の中にないのですから、何をしてても楽しくないし、大切な人が亡くなった時に悲しめない人間にはなりたくありません。

自分の感情に向き合うって大事です。

向き合いたくない感情だけ失くすことはできないことがよく分かりました。怒りだけ失くすとか、悲しみだけを失くすとか、できないんです。

その感情もひっくるめて私なんだなって受け止めるしかありません。

ここまで読んで下さった方、感情に向き合ってますか?怒ってますか?楽しんでますか?悲しんでますか?押さえ込んではだめです。それも全て、あなたです。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

#猫 #離人症 #ペットロス




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?