信仰心は追い込まれたときに助けになるのか

こんにちは。
息子が夫を叩きに行って、怒られていたら、「そんなときもあるやん?」と諭す娘。
なんでそんな大人目線なの(笑)


さて。。。

ここ最近、時間をかけて15少年漂流記とロビンソン・クルーソーを読みました。

私には、聞いたことはあるけれど、読んだことはない名作が数多くあります。でも時代を超えて語り継がれてきた物語ならきっと面白いだろう、いつか読みたいと常々思っていました。

例えば、司馬遼太郎さんの本とか読んだことないし、あしながおじさんも何となく知ってる程度。

で、今回本を読んで感じたことは、一気に読み終えるほどの面白さがあることは置いといて、どちらの本も規律性や信仰心が隔絶した世界で生きていくには大切なんだな、と思いました。

いかに心を平静に保って行動できるか。
正確な現状認識を持つこと。
無理をしないこと。
工夫すること。
生活リズムをつくること。
神という信仰心をもつこと。

正直、宗教に関心はないままこれまで生きてきました。なので、ロビンソンクルーソーの「神よ、神よ」と言う言葉には全然共感出来ませんでした。でも、28年に及ぶ孤独な生活の中では神にすがることが精神安定につながったり、深く思考する時間のある無人島で、自分の考えを深く掘り下げるときに神を取り入れ、思考するのは適しているのかな?と思ったり。

そんな状況にははまずならないですが、体力も知識もなくてすぐ死ぬと思いますが、もし無人島に行くなら何かの小説より、【論語】とかの方が思考の旅に出れて平静を保てるのかな?と思ったりしました。

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