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1000日チャレンジ 587日目 英語でアメリカ史を読む「A Little History of the United States」(22. What Was Coming)

ゴールまで413日

★BMI:24.1

◎James West Davidson著『A Little History of the United States』(Yale University Press; Reprint版 (2016/9/13))を読みながらアメリカ史を勉強してみたい。
22. What Was Coming
(要約)
当初リンカーンは南部の州の分離に対して、逃亡奴隷法の施行や奴隷州での奴隷制度の存続を約束するという妥協で切り抜けられると考えた。しかし、南北戦争の火ぶたは切られる。7州以外の奴隷州は当初南部諸州に加わらなかったため、奴隷解放の30年にわたる段階的な実施や、奴隷を開放した農場主への金銭の支払いなどを提案して、連邦への引き留めをはかった。しかし、境界州はこれを拒否した。そのため、リンカーンは見切りをつけて奴隷解放宣言を1863年に発効させることになる。この宣言は実効支配していない南部州の奴隷を開放するという点では意味をなさなかったが、この宣言によって、南部の一部の黒人が北軍に協力をしたり、北軍への黒人の志願が増加したりという効果を生んだ。リンカーンには軍隊経験は無かった。そのためバージニア出身のロバート・E・リーを将軍に指名するが、その後、彼は南部連合に参入する。次にリンカーンが指名したのがジョージ・マクレランだったが、慎重な彼は撤退を繰り返し、更迭される。西部戦線を戦ったユリシーズ・S・グラントはピッツバーグの攻略に成功した。北部に侵攻した南軍のリー将軍だったが、ペンシルベニアで大きな敗北を喫っする。1864年の大統領選でリンカーンと対峙した民主党のジョージ・マクラレンは和平交渉と戦争の早期終結のためには奴隷制度の存続容認もやむをえないと考えていた。開戦から4年を経て北部の人は多くの戦死者を出して悲しみの中にあった。一方、南部では奴隷を開放して軍隊に加えようとする動きへの反発や、軍費を賄うために増発した紙幣の価値が下がるなど混乱が広がった。リンカーンは1865年に奴隷制度の廃止を憲法に盛り込んだ。1865年の2回目の大統領就任演説でリンカーンは、南北の和解と戦いで苦しんだ人々や孤児たちの面倒をみること、永続的な平和をよびかけた。そして、その1か月後南軍は降伏し、南北戦争は終結する。この戦争で100万人の兵士の4分の3が命を落とし、150万頭の馬が失われ200億ドルが焼失した。

grumble;不平を言う、rebellion;反乱、repel;反発する、peculiar;独特の、hoodwink;だます、subdued;抑えられた、anguish;苦痛、苦悩、defeat;敗北、consoling;励ますこと、abolitionist;廃止論者、scourge;惨劇、bondsman;男性の奴隷
the Confederacy;南部連合国

◎奴隷制をめぐる対立から南部が連邦から離脱したことから4年にわたる南北戦争がおきる。必ずしも北部が常に優勢であったわけでもないこと、戦争が続いて、南部は内部でも対立構造が生まれるようになっていたことなど、これも初めて知るようなことばかりで面白かった。


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