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1000日チャレンジ 941日目 「A LITTLE HISTORY OF SCIENCE」(若い読者のための科学史)CHAPTER 24 The History of Our Planet

ゴールまで59日

★BMI:23.0

「A LITTLE HISTORY OF SCIENCE」(Bynum, William著;Yale University Press;2012年)を原著で読み進める(全40章)

◎CHAPTER 24 The History of Our Planet
★主な内容
1600年代以降になると、博物学の中で、地球自体や地形が捉えられるようになる。古代には地球はずっと同じように存在してきたと考えられてきたが、キリスト教やイスラムの世界観が支配的になると、聖書の記述から、地球の歴史は人間の歴史より数日前に始まると考えられるようになっていた。しかし、それでは、地球上の地形が形づくられるための時間としては短すぎるし、貝の化石が高山の頂上で見つかることも説明できなかった。
ドイツのアブラハム・ヴェルナー(1749-1817)は岩石の相対的な年代をもとにした分類法を考案した。さらに、ウィリアム・スミス(1769-1839)岩石や地層の中に含まれる化石の重要性に気が付いた。
1800年代初めには、多くの学者が「天変地異説」を唱えるようになる。すなわち、大きな天変地異が地形や地質の変化を起こし、そのたびに新たな動植物が生まれるて来たのだという説明である。天地創造の6日間は6つの長い時代のことを指す、あるいは、聖書の記述は直近最後の創造のことなのだと考えれば、整合性はとれたようにも思われた。
1830年、天変地異説に異を唱えるものが現れた。チャールズ・ライエル(1797-1875)は地球で働く地質作用はずっと同じであるという仮定にたって考えた。彼は地球上で大きな天変地異の存在は認めつつ、それは周期的に起きることだと考え、天変地異説やノアの洪水のような奇跡への依存を排除しようとした。ライエルは、生物もまた進化をするのではなく、たまたま各時代に生きていた生物の一部が化石として残っているだけで、生物もほとんど変わっていないと考えた。彼の著書『地質学原理』は近代地質学の成立に大きく貢献する。ダーウィンもまた、彼の信奉者であったが、その後彼の打ち出した結論は、ライエルとは全く異なるものだった。

★単語
multiply
;かける、増加させる、ash;灰、lava;溶岩、excavated;出土した、grapple;取り組む、comprehend;理解する、archbishop;大司教、catastrophist;激変説論者、boulder;巨礫、stratum;地層(複数形=strata)、massive;大規模、uniformitarianism;斉一説、

※天変地異説;「catastrophism;激変説ともいう。フランスの古生物学者キュビエは、パリ盆地の中生代上部白亜紀層と新生代第三紀諸層の脊椎(せきつい)動物化石を比較し、それらが共通種をほとんど含んでいないことから、動物群の急激な絶滅と新たな分布が地殻変動でおこると唱えた。これが科学的仮説として天変地異説とよばれるものの初めである。ところが、キュビエの弟子たちは、絶滅のたびに新たな「神による創造」が繰り返されたとする「反復創造説」を強調し、これがいわゆる「天変地異説」として一般に流布した。イギリスの地質学者ライエルらの唱えた斉一説は、変化は漸移的とする仮説であり、天変地異説に対立する立場から打ち出された。
 生物相の歴史的変遷を説明する天変地異説は、斉一説に依拠したC・R・ダーウィンの進化説、とりわけその漸進的進化観と鋭く対立し、むしろ近年の断続平衡的進化観と折り合いがよいとみられる。天変地異一般、巨大隕石(いんせき)の衝突や宇宙線の影響、大陸移動と火山・地震活動、氷河形成などが生物の大量絶滅や局所的絶滅の主要な原因となったであろうという可能性が、現在に至りとくに活発に論じられている。」(小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)より引用)
※チャールズ・ライエル;「Lyell, Sir Charles;[生]1797.11.14. スコットランド,キノーディ [没]1875.2.22. ロンドン;イギリスの地質学者。1832~33年ロンドンのキングズ・カレッジ地質学教授。1834年デンマーク,スウェーデンに調査旅行,1837年ノルウェー,1841年と 1845年にはアメリカ合衆国,カナダ,その後カナリア諸島,シチリア島など広く調査を重ねた。1826年ロイヤル・ソサエティ会員,1835年地質学協会会長。1864年イギリス学術振興協会会長。1848年ナイトの称号を与えられる。第三紀層と火山に関心をもち,フランスのパリ盆地の新生代の貝化石を研究,現生種と絶滅種の百分率から,新生代を始新世,中新世,鮮新世に三分する地質年代区分を提唱。また氷河期の堆積物の研究をはじめ,ノバスコシア石炭層の研究,火山地帯の研究などを精力的に行ない,その知見に基づいて書かれた『地質学原理』(3巻,1830~33)は,当時の地質学界に大きな影響を与えた古今の名著といわれる。当時,地質学者の間では,過去における大規模な火山噴火(火成論)または大洪水(水成論)によって今日の地質構造が形成された(天変地異説)と考えられていたが,ライエルはジェームズ・ハットンの考えを発展させて,過去の地質作用と現在の地質作用を種類,規模のうえで同一であるとする斉一説を提唱し,「現在は過去を解く鍵である」という名句を残した。近代地質学の父と呼ばれ,チャールズ・ダーウィンの師の一人である。」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より引用)

ちょっとややこしい説明になっている。ライエルは聖書に描かれた世界に影響された地質学から観察結果に正直なものに変えようとする点で、高く評価されているのだと思う。一方で、現代の解釈は、むしろ天変地異説で考えられていたことに近いもの(火山活動や地震、天体衝突など)であるように思う。科学史における歴史的な意義と、その説の正確性という点で乖離がある人のように思う。


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