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1000日チャレンジ 730日目 「シンプルな英語で話す世界史」で英語を学ぶ 40.Thirty Years' War

ゴールまで270日

★BMI:24.7

◎ジャパンタイムズ出版 (2020/5/5)刊「シンプルな英語で話す世界史」(ジェームス・M・バーダマン /松園伸 著)で世界史の復習とともに英語の学習をしていく。

40.Thirty Years' War
(要約)1618年から神聖ローマ帝国傘下のカトリック君主国家とボヘミアを中心としたプロテスタント貴族の間で戦争が勃発した。これが三十年戦争の始まりであり、この戦争は、宗教戦争であり、王朝間の戦争でもあり、戦略的な紛争とも結びついていた。デンマーク、スウェーデン、フランス、スペインもこの戦争に参加した。ウェストファリア条約によって戦争は終結するが、スウェーデン、フランスは新たな領土を獲得する。ローマカトリック信仰は、フランス、ポーランド、ハンガリー、ボヘミアで復活した。一方で、神聖ローマ帝国は政治的な統一体としては存続できなくなり、独立した領邦国家に分裂した。これらの国々は独自に信仰を決めることができた。中央ヨーロッパでは、ハプスブルク領がより求心力の強い帝国へと融合していく。

the Habsburg dynasty;ハプスブルク王朝、defy;逆らう、conflict;争い、struggle;闘争、involve;関与する、plunder;略奪する、cease;停止する、entity;存在、pluralism;多元的共存、reluctantly;不本意ながら、coherent;まとまりのある
to some extent;ある程度
be welded into;一つにまとまる

Thirty Years' War;三十年戦争;「1618年から48年まで,ドイツの宗教対立を契機とする紛争にヨーロッパ各国が参加した戦争。最後で最大の宗教戦争。
アウグスブルクの宗教和議(1555)の後も,ドイツの宗教対立は続いていた。ベーメン(ボヘミア)のプロテスタントに対する皇帝フェルディナント2世の弾圧を契機に,ドイツおよびヨーロッパ各国の政治的利害関係と結びついて,オーストリア・スペインとフランスとの対立抗争に発展した。デンマーク・スウェーデン・フランスがプロテスタント側に,スペインがカトリック側に味方した。戦争の経過は,(1)ベーメン−ファルツ戦争(1618〜23),(2)デンマーク戦争(1625〜29),(3)スウェーデン戦争(1630〜35),(4)フランス−スウェーデン戦争(1635〜48)の4段階に分けられる。この戦争で最大の打撃を受けたのは東西のハプスブルク家であった。ドイツは戦争で荒廃して人口の3分の1を失い,1648年のウェストファリア条約でオランダとスイスの独立が認められ,ドイツ諸邦はほとんど完全な独立国家となった。逆にフランスはライン川左岸に領土を得て強国となり,スウェーデンも北ヨーロッパで強盛をほこった。」(旺文社世界史事典 三訂版より引用)
the Treaty of Westphalia;ウェストファリア条約;「三十年戦争(1618‐48)を終結させた条約。1645年からドイツのウェストファリアWestphalia(ドイツ語ではウェストファーレン)地方のミュンスターとオスナブリュックとに分かれて講和会議が開かれ,各国の利害が衝突して長引いたすえ,1648年10月24日に調印された。参加国は,ドイツの領邦国家も一国と数えて,総計66国で,それまでのヨーロッパ史上最大の国際会議であった。 領土関係については,スウェーデンは西ポンメルンとブレーメン大司教領,フェルデン司教領,ウィスマルを獲得し,フランスはメッツ(メス),トゥール,ベルダンの3司教領とアルザスのハプスブルク家領の領有を認められた。」(平凡社世界大百科事典第2版より引用)

◎うーん。三十年戦争って何だったっけ?という状態。この文章を読んだだけではよくわからない。ヨーロッパ史はややこしい。宗教戦争の結果、実質的な神聖ローマ帝国は崩壊するのに神聖ローマ帝国の皇帝であったハプスブルク家は力を強めていったという。。。ちゃんと勉強しよう。


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