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1000日チャレンジ 917日目 「A LITTLE HISTORY OF SCIENCE」(若い読者のための科学史)CHAPTER 12 Leaning Towers and Telescopes: Galileo

ゴールまで83日

★BMI:23.0

「A LITTLE HISTORY OF SCIENCE」(Bynum, William著;Yale University Press;2012年)を原著で読み進める(全40章)

◎CHAPTER 12 Leaning Towers and Telescopes: Galileo
★主な内容
ガリレオ・ガリレイはイタリア・ピサに生まれフィレンツェ近郊で育つ。初め医師を目指すが数学に興味を持ち、大学で物理学について教えるようになる。彼は数多くの実験を行った。初期の彼の興味は物体の運動に関するものであった。斜面を球体が転がるときに、距離が延びるにつれて速度が速くなる、その法則(物体が落下するとき、その距離は時間の2乗に比例する)を見出した。次に彼は望遠鏡を改良して天体の観測を行った。そして、月の表面にクレーターがあること、木星に衛星があること、土星に環のようなものがあること、火星や木星が一定の規則で動いていることなどを発見する。その結果をまとめた彼の著書『星界の報告』(1610年)は、コペルニクスの説を指示するものとして物議を醸しだした。彼はコペルニクスの考えについて、執筆したり教えたりするこについてローマ教会に許可を求めたが、数度にわたって禁じられる。それでも、『天文対話』という本を1632年にフィレンツェで出版した。この本で彼は明確にコペルニクスを支持したわけではなく、ジョークまじりに3人の人物に議論をさせる形をとった。しかし、彼は1633年にローマで裁判にかけられ、「地球は動いおらず、宇宙の中心は地球である」という供述書に署名をさせられる。その後、自宅で軟禁される。最後の日々で彼は、『新科学対話』を書く。この本は、やがて、現代物理学の 基礎となっ た。
ガリレオは、敬虔なキリスト教徒であったが「聖書は天国に行く方法を教えるが、宇宙がどんな仕組みかは教えない」と考えたという。つまり、信仰と科学を追及することは別だと考えていたのだ。

★単語
morality
;道徳、faith;信仰、energetically;精力的に、dare;あえて~する、despite;にもかかわらず、binocular;双眼鏡、awkwardly;不自然に、summon;召喚する、rebellious;反抗的な

★フレーズ
conflict with
;~と衝突する、pros and cons;よい点と悪い点

※ガリレオ・ガリレイ;Galileo Galilei(1564〜1642)「イタリア−ルネサンスの代表的科学者。ピサの貴族の出身。ピサとパドヴァの大学で教えた。振子の等時性や,ピサの斜塔での実験により落体の法則を発見。みずから製作した望遠鏡で天体を観測し,コペルニクスの地動説を裏づけたが,これが異端と判定されてローマ教皇に同説の放棄を強要された。『天文対話』の発表で宗教裁判にかけられて,フィレンツェ郊外に軟禁された。晩年には失明し,不遇のうちに死去。死に際して一門の墓地に埋葬することも許可されなかった。裁判の際,「それでも地球は動く」とつぶやいたと言われている。」(平凡社世界大百科事典 第2版より引用)

◎私は小学校低学年のときに、ガリレイの伝記を読んで以来、敬愛してやまない科学者の1人となっている。彼に関する本もたくさん読んできた。繰り返し実験を行うことで精度を高めようという姿勢や、アイデアを実験や観察で検証しようとする姿勢、真理を追究するためであれば、大きな権威にも立ち向かおうという姿勢など。一方で、何度も教会に理解を得ようと真正面からぶつかっていく愚直さなど、今でも、目指すべき人間像となっている。


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