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1000日チャレンジ 837日目 「シンプルな英語で話す世界史」で英語を学ぶ 66.Boel Wars

ゴールまで163日

★BMI:23.7

◎ジャパンタイムズ出版 (2020/5/5)刊「シンプルな英語で話す世界史」(ジェームス・M・バーダマン /松園伸 著)で世界史の復習とともに英語の学習をしていく。

66.Boel Wars
(要約)1877年、イギリスは、南アフリカのトランスヴァール共和国の併合を決めるが、オランダ系住民(ボーア人)は武力で対抗する。これに始まる一連の戦闘をボーア戦争と呼ぶ。1881年、イギリス軍はいったん撤退するが、1886年に南アフリカで金鉱が発見されたため、再び、1899年に戦闘が再開される。イギリス軍は、ボーア人を強制収容所に送った。1902年、ボーア人の共和国は編入され、イギリスの自治領となる。この戦争は、イギリスに多くの教訓を残した。一つは、イギリス兵の栄養状態が悪く、志願兵の多くが軍務に不向きであったこと。もう一つは、アメリカやドイツの台頭によって、イギリスはもはや「光栄ある孤立」戦略が有効ではないこと。そして、イギリスは同盟国を求め、1902年、日本と日英同盟を締結する。

descent;系統、血統、overwhelm;圧倒する、guerrilla;ゲリラ兵(a member of a small group of soldiers who are not part of an official army and who fight against official soldiers, usually to try to change the government)、accommodate;収容できる、absorbed;併合された、grope;模索する

withdraw from;~から撤退する(to move back or away from a place or situation; to make someone or something do this)
concentration camp;強制収容所(a type of prison, often consisting of a number of buildings inside a fence, where political prisoners are kept in extremely bad conditions)
unfit for;~に適さない

The Bore Wars;ボーア戦争;「19世紀末から20世紀初頭にかけて南アフリカの支配をめぐってイギリス人とボーア人Boerの間で行われた帝国主義戦争。ブール戦争,アングロ・ボーア戦争,南ア戦争などとも呼ばれ,第1次戦争(1880‐81)と第2次戦争(1899‐1902)がある。 グレート・トレックの結果,1852年建国されたボーア人のトランスバール共和国は,70年代に財政事情が悪化した。イギリス植民地相H.カーナボンはこれを契機に介入し,77年同国を併合した。」(世界大百科事典 第2版 より引用)
splendid isolation;光栄ある孤立;「19世紀イギリスの基本的な外交政策を示す言葉。元来,イギリスは直接に大陸諸国と同盟を結ばないことを伝統的な外交方針とし,19世紀後半には他国をはるかに上回る工業生産力と海軍力を背景に,孤立政策を実施した。ところが帝国主義時代にはいり,ドイツによってイギリスの優越が脅かされるようになると,この政策の維持は困難となり,1902年日英同盟,04年英仏協商の締結によってこの政策を放棄した。」(旺文社世界史事典 三訂版 より引用)
the Anglo-Japanese alliance;日英同盟「日本とイギリスが,1902(明治35)年以降3回にわたって結んだ同盟協約。1902年,ロシアの南下政策に対して,イギリスの中国における,日本の中国・韓国における利益擁護のための相互援助と,締約国の一方が交戦のときには他の締約国は中立を守ることなどを約した。日露戦争の推移により,'05年に改訂して,日本の韓国保護権を確認し適用範囲をインドにまで拡大した。しかし戦後の日露接近があり,むしろ対ドイツ政策として '11年の改訂でアメリカを適用範囲外とすることが確認された。第一次世界大戦に日本はこの条約を名目に参戦し,戦後,日本とイギリス・アメリカとの対立が表面化する中で,'21年ワシントン会議で調印の四カ国条約の発効により'23年破棄された。」(旺文社日本史事典 三訂版より引用)

◎日英同盟締結の直接的な動機は、アジアにおけるロシアの進出に対抗することだったと思うが、グローバルにイギリスが同盟国を求めていた時期だったいうことか。


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