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1000日チャレンジ 842日目 「シンプルな英語で話す世界史」で英語を学ぶ 71.Russian Revolution

ゴールまで158日

★BMI:23.8

◎ジャパンタイムズ出版 (2020/5/5)刊「シンプルな英語で話す世界史」(ジェームス・M・バーダマン /松園伸 著)で世界史の復習とともに英語の学習をしていく。

71.Russian Revolution
(要約)ロシアでは1861年の農奴解放令以降も小作人は地主のための労働を強いられていた。1905年、サンクロペテルブルクで労働者が立憲君主制を要求したが「血の日曜日事件」で弾圧を受けた。この年、政府が市民的自由の保障を約束すると市民階級はこの運動から離脱していった。第1次世界大戦でロシア庶民の貧困は進み、1917年3月に革命が勃発する。11月には革命政府の実権はスイスから帰国したレーニンらボリシェヴィキが掌握する。翌2018年、ポリシェヴィキはロシア共産党と改名した。

peasant;小作人、emancipation;解放、groan;不満の声を上げる、secede;離脱する、impoverish;貧困化する、rally;呼び集める、provisional;暫定的な、proletarian;プロレタリア(階級)の、無産階級の、assume;身に着ける

constitutional monarchy;立憲君主制

Bloody Sunday;血の日曜日事件「1905年1月22日(ロシア暦9日)の日曜日にロシアの首都ペテルブルグで起きた労働者虐殺事件。労働者とその家族が僧ガポンに率いられて冬宮とうきゅうに向かって請願行進中、軍隊の発砲を受けて二千人以上の死傷者を出し、第一次ロシア革命の発端となった。」(小学館「デジタル大辞泉」より引用)
Bolshevik;ボリシェヴィキ;「1917年のロシア革命の主力となった革命党派。レーニンを中心に,厳格な前衛的革命党として1903年ロシア社会民主労働党の一派が出現,多数派という意味のこの名称を使用し,メンシェヴィキ(少数派)とは理論と運動方針で対抗した。1905年労働者と貧農との民主的独裁を主張したが,17年の三月革命後は社会主義革命とプロレタリア独裁を提起し,11月には武装蜂起に成功,ソヴィエト政権を樹立した。翌1918年,国会選挙で社会革命党に敗れて第二党となると,政策遂行の妨害になるとして国会を解散し,共産党と改称して独裁体制を確立した。」(旺文社世界史事典 三訂版より引用)

◎専制政治を嫌って革命を起こしても、新たな支配者によって、再び専制が行われるということの繰り返し。権力の長期化は特権を生み出してしまう。どんなに良いリーダーであっても、物理的・強制的な期限を切ることは大切なことだと思う。


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