見出し画像

1000日チャレンジ 849日目 「シンプルな英語で話す世界史」で英語を学ぶ 78.African Independence Movements

ゴールまで152日

★BMI:23.7

◎ジャパンタイムズ出版 (2020/5/5)刊「シンプルな英語で話す世界史」(ジェームス・M・バーダマン /松園伸 著)で世界史の復習とともに英語の学習をしていく。

78.African Independence Movements
(要約)第2次世界大戦後、国連は国連憲章の中で、植民地の人々は自己決定の権利を有すべきだと唄った。1950年代後半から1960年代にほとんどの植民地が独立を果たした。多くの国が西洋式の民主主義をとったが、社会主義的な国や、アフリカ独自の価値観に基づく国も存在している。多くの国は、国内で民族間の争いを抱えている。それは、かつての支配国が勝手に国境線を引いたために、長年に組み合った民族が同じ国の中で勢力争いをすることによるものだ。1994年、ルワンダでは、フツ族とツチ族との間の争いで、少なくとも50万人のツチ族の住人が殺害されるという事件が起き、周辺には多くの難民が押し寄せた。アフリカ諸国の中では、資源によって富んでいる国もあるが、多くの国が外国からの投資に依存している。

charter;憲章、instability;不安定さ、arbitrary;気まぐれな、恣意的な、ignore;無視する、embrace;包含する、hatred;憎悪、casualty;犠牲者、emigration;移民すること、oligarch;寡頭(体)制(少数の人々によって統治される政治制度)の支配者、lavish;ぜいたくな

Pan-Africanism;「汎アフリカ主義「アフリカ大陸の諸国をアフリカ人の手で統合し独立させようとする思想および運動。二〇世紀初頭のアメリカ・ヨーロッパに在住するアフリカ人による「アフリカ人のためのアフリカ」の自治要望に始まる。」(精選版 日本国語大辞典より引用)

ルワンダ大虐殺;1994年にルワンダで起こった大量虐殺事件。1994年4月6日,ルワンダ大統領のジュベナル・ハビャリマナとブルンジ大統領のシプリアン・ヌタリャミラの乗った飛行機が首都キガリ上空で撃墜され,搭乗者全員が死亡した。実行犯は判明しなかったが,当初はフツ人過激派の仕業とされ,のちにツチ人主体のルワンダ愛国戦線 RPFの指導者陣に疑いの目が向けられた。翌日,フツ穏健派のアガト・ユウィリンジイマナ首相が暗殺された。首相暗殺は,フツ穏健派と少数派ツチ人の政治家を排除し,政治的空白をつくりだすことをもくろんだもので,4月9日フツ過激派による暫定政権が発足した。その後数ヵ月にわたり政治的混乱と,フツ過激派武装集団インテラハムウェ(ルワンダ語で「ともに戦う者」の意)とインプザムガンビ(「同じゴールを目指す者」の意)が主導する大規模な虐殺が続いた。これに対し RPFが応戦を開始,7月初めにほぼ国内全土を制圧し,7月末,フツ人のパスツール・ビジムングを大統領,ツチ人のポール・カガメを副大統領とする暫定政府を樹立した。この大虐殺により,ツチ人を中心に 80万人以上の民間人が殺害され,200万ものルワンダ人が難民となり,その大半がザイール(→コンゴ民主共和国)東部に脱出した。大虐殺に関与した多数の人間を訴追するため,国際連合安全保障理事会はルワンダ国際犯罪法廷 ICTRを設置し,1995年に審理を開始した。2001年,政府は伝統的な裁判手続きであるガカカ制度を活用した審理を提案,2002年にガカカ法廷が発足した。」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

◎なんでも歴史のせいにしていても良くないが、植民地支配は今もなお、支配されていた側に大きな影響を及ぼしている。支配する側にあった国々の人間は、今起きている問題に目を背けてはならない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?