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そんな話がしたかった

「結局、おかんやってん。」
大学の同級生との会話で出てきた言葉。

この人は、いわゆる社会的地位も家庭もあり、たぶんお金もがっぽり持ってはります。
国家資格に裏打ちされた知識を理論的、体験的に発信したり、クライアントもたくさん抱えてるかしこそうなおじさんです。

先日、新年会の2次会でたまたま隣に座り、ちょっと真面目に話し込んでしまいました。

わたしがこの人を面白いなと思うのは、外向けには成功したビジネスパーソンイメージがある反面、ふとしたときに素直というか無邪気な顔が見えるからです。
それなりのキャリアを積んだ経営者がわたしみたいな謎の自由人に真面目な顔で、「部下に接するときってどんなことに気をつけてる?」とか聞いてくるんです。
素直すぎて、もはやかわいさ爆裂です。

なんやかんや話してて行き着いた先、それはおかんでした。
お母さんこそが自己肯定感をつくってくれたその人やったんやと、これまたかわいいニコニコ顔で話してました。

あと、この友人と話が盛り上がるポイントは言外にあることを受け止めてくれる感覚なのかもしれません。
これを言うってことはたぶんこんな経験してきたんやろなと察して話を進めてくれるので話がスムーズに進むんです。

いろんなことを考えて表面的な話しかできないとか、仮に本音に近いとこまで話してても相手の受け止めの薄さに絶望することも多々あるけど、この友人との会話はその点の心配はない。

なんやかんやかしこそうに話すことはできても、身近におってくれる人の大切さに気づけんのはあかんねん。
自分や自分の身近な人を思う気持ちが育ってないと、他人への思いやりなんて育つわけないんよな。
出発点にいたのはおかんやったと、話してて妙に安心しました。

40代も終わりになるおっさんがお母さんへの気づきを素直に話してる、そんなええ場面に遭遇した新年会でした。

最後に断っておきますが、ここで言いたいことはお母さん大事みたいな話ではないです。

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