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孤児院ではなく児童養護施設として ①


今回は、2000年当時の孤児院運営から現在の児童養護施設運営となるまでの変遷を記したいと思います。
長くなりそうなので何度かに分けて書くことにします。

日本で耳にしたことのない経済孤児という言葉。わたしがそれを知ったのは、現在事務局長を務めるカンボジア・シェムリアップにある児童養護施設スナーダイ・クマエの運営に関わるようになってからです。

当時、施設で暮らしていた子どもたちのほとんどはシェムリアップ郊外の貧困農村に両親がいました。わたしがそのことを知ったのは施設で暮らし始めてしばらくしてからでした。

2010年に離婚した夫(施設の創立者で当時の団体代表)から、孤児院(当時はそういう言い方をしていました)運営するための準備を始めていることを結婚する前から聞いていました。その頃は「孤児」という言葉の響きから、漠然とまったく身寄りのない子どもを思い浮かべ、そういう子どもたちが暮らしている場所なんだろうと思っていました。

でも、実際は経済状況が厳しい家庭の子どもたちの親代わりとなり養育するというのが孤児院といわれる場所の主な役割で、他の施設も同じような背景の子どもたちを受入れていました。
そして、親はいるけれど家庭の経済的事情で孤児院にいる子どもたちのことを経済孤児と呼ぶのだと別れた夫から教えられました。

スナーダイ・クマエに暮らす子どもたちの親は、郊外の農村で生まれ育っています。いまだになかなか教育環境の整わないカンボジア、ましてや今から20年以上前にすで親となっていた世代の人たちが十分に教育を受けられるはずもなかったことは想像に難くありません。

その親たちが教育の重要性を理解した上で子どもを施設に預けることを決断したとは思えませんでした。その日暮らしを続け、家族が一人でも減ってくれたほうが楽になるという目先の経済的な理由で預ける親がほとんどだったのではないかと推測しています。

わたしが2000年4月に初めてこの施設で対面した子どもたちはその経済孤児たちでした。
つまり、親の経済事情によって住み慣れた村を離れることになり、知らない人たちか集まる場所に住むことになった子どもたちだったのです。

運営にかかわり始めた当初は、このことについてあまり深く考えていませんでした。しかし、子どもたちと生活を共にする中で起きる大小さまざまな問題に直面するたびに、経済孤児の受け入れがこのカンボジア社会において施設の存在意義を見出すことのできる活動なのだろうか、本当にこの子たちにとってここが最善の環境なのだろうかと思いをめぐらせ、立ち止まることが多くなっていきました。

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