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18年

1月7日は、母の命日です。

お仏壇に手を合わせて、お供えしてたお餅をもらってお餅入りの七草粥をつくりました。

母は、60歳のときに心不全で突然この世を去りました。

わたしは、すでにカンボジアで暮らしていたので翌日の飛行機を慌てて取って、息子と帰国しました。
飛行機のチケットを手配してくれたのは、今でも一緒に働いてくれているスタッフのソカーさんでした。

空港からどんなふうにして飛行機を乗り継いで自宅にたどりついたのかまったく記憶がありません。
その後3ヶ月以上日本にとどまったはずですが、その間の記憶もほとんどありません。

母は、華道、茶道の講師をしていて華道では家元のお仕事もしていたことに加えて、熊野古道のガイドを県から委託されていたり、頼まれたら断れない性格もあり地域の民生委員もしていました。
忙しすぎる母に、なんかひとつでも辞めたら?とよく言っていたのですが、人が喜ぶ顔を見るのが好きだったようで聞く耳を持ちませんでした。

心臓に問題があり薬も飲んでいたのに、自分は大丈夫と根拠もなく思っているような楽天的な母でした。

わたしは、18年前に母がなくなってから今でも、なんであのタイミングでお別れになったのかの答えがわからないまま生きています。きっとそれはずっと分からないんだろうと思っています。

ただ、日常的に息子と話していると息子の中に母が生きてることを感じる瞬間はあります。
人が喜ぶ顔を見るのが好きなこともそのひとつです。

息子が小さいころ、そんなふうに投影することはあまりなかったのですが、成長するにつれて自然とそれが見えてくるようになりました。そのたびにお母さんはここに生きてるんやなとうれしくなるのです。

息子が産まれたとき、命のバトンタッチができたーと言った母は満面の笑顔でした。
いつからか1月7日が来るとあの顔を思い出すようになりました。
自分の大事な人たちがつながっていることを感じる瞬間です。

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