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20221201 マリーゴールド

毎月末日はお花屋さんでお榊と仏花を。

毎月1日に新しくお供えするのだが、もうひとつ季節の花を添えたいと店頭を眺めたところ、可愛らしいマリーゴールドがあった。

マリーゴールドといえば、あいみょん「マリーゴールド」MVについて山田智和監督にインタビューさせていただいた時、花言葉が話題となり、あいみょんさんが歌詞の参考にされたというエピソードを思い出した。

あらためて調べてみると、「可憐な愛情」「勇者」「逆境を乗り越えて生きる」「いつも側に置いて」「絶望」「悲しみ」「嫉妬」などなど。捉え方次第では真逆の印象を受ける多様なワードが。

表裏一体。悲喜こもごも。多様多層だからこそ生じる矛盾もまた人間を人間たらしめるキュートなエッセンスとなるが、マリーゴールドは見た目の可憐さに加えて、花言葉を知るとなんとも人間みたいでキュートかつ感情的、ちょっと主観的だからこそ悲観的な面倒さを感じる。それが、めちゃくちゃ人間っぽくて気に入った。

すかさずマリーゴールドを手にして会計している時、花屋のご主人が「マリーゴールドは茎が折れやすいから、気をつけて持って帰ってね」と言った。

可憐な一方ではなくて、勇敢で、悲喜こもごもで、しかも、折れやすい。最高にキュートかつめんどうな勇者ではないか。この主人公、最高だなと喜んでいると、さらにご主人が「さっきちょうど折れちゃった子がいて、良かったら持っていって」と言って、折れたての勇者を譲ってくれた。「ここまで折れちゃえばもう大丈夫だから。もう2度と折れないよ」。

背の高い折れやすい繊細な勇者2名と、折れまくった後にもう2度と折れない世界線を手に入れた背の低い勇者2名を手にした私は、「人間最高!」と心中こっそり快哉を叫んだ。

折れたら、見渡せない世界がある。でも、折れても、大丈夫。折れなければ、2度と折れない世界を見渡せないのだ。私は心強い気持ちになって、同時に慰められて、大好きなラジオを聴きながら帰路に着く。

道すがら、バス停ですれ違った見知らぬおばあちゃんが大騒ぎしているので、何事かと思ってヘッドフォンを取ったら、マリーゴールドを指して「なんて可愛らしい!素晴らしい!ちょっと見ただけで元気になった」と話しかけてきた。私はなぜか誇らしい気持ちで、「マリーゴールドです」とドヤ気味に名を告げた。

おばあちゃんは少女のようにはしゃいでいた。その姿を見て、比喩ではなく、少女なのだと実感した。年齢を重ねても、本質はあまり変わらないことを、身をもって理解できる年齢になってきた。おばあちゃんはおばあちゃんであって、同時に少女であるという状況には何の矛盾もない。

その根本的な多様多層の在り方をマリーゴールドとともに味わう。ドヤってる場合ではなくて、もう折れなくてよい強い方の勇者を、旅のお供におばあちゃんにお譲りすれば良かったと今さら後悔。人間が未熟でまことに申し訳ない。

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