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カケラ

わたしは自分でないものに憧れたりする

キミはどんなふうに選んできたんだろう


私は、小学6年生の演劇発表会で大道具になりたかった

でも、なれなかった

この、なりたいものになれなかった記憶を

先生のせいにしちゃって、 前に記事に書いた

ごめんなさい


でも、

なりたくないものに、一瞬でもなりたいと思った自分

が、実は一番の要因なのかもしれない


簡単に表現するならば

憧れ イメージ

という 言葉、現象だ。


自然とやっていて、やりたいこと と

周りの人やテレビで見る人がやっていることをみて

すごいな、いいなということは

似ているようで、同じ時もあるかもしれないけど

実は違う時もある


私の極端な例。

スポーツ、特に球技について

バスケができる友人は男女問わずかっこいい

ボール1個を軽快に操りながらコミュニティができる

その様子も自然体で素敵だと思った

しかし、私の身体能力からはそれが望めなかった

一度だけ友に引きずられ、サークルに入ったことがある

あの記憶は、夢のように謎な事実だ

何か、ものひとつを操りながらコミュニティをつくることは

バスケやボールでなくても可能なのに



もう一つ

わたしは、絵を描くことが好きな子どもだった

何かつくることも好きだった

今思えば、美術部に入ればよかったのに、

何故か運動部の方が感じ良いかなと思って

普通くらいにできた走ることでいいかなと

陸上部に入った

今振り返ってみても、

決して悪いことではなかったのだけど

授業で美術の時間に

作ったり書いたりしたものたちが

まだ手元にあったりして

つくることに時間をかけていたら

どんなものが生まれたかな とか

考えたりして


何故か、主観でない方を選びがちな自分がいる

進む道に迷ったら、難しい方を行け

とか そういうことじゃなくて

つまり、わたしは

主観よりも、体裁を選んでいることが多い


いや、

それも含めて自分らしい選択かな

自分が満足する、自分の価値観にあった

ちょうど良いところを選んでいるのかも


可能性のカケラは、まだ未熟なまま

わたしの手元にもキミの手元にも

きっとあるだろうな


実はそれは先があって

それが今だってわかることから

またそのカケラは

変り始めるのかも










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