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なりたくないものになった記憶


小学6年生のとき。最高学年と呼ばれる年。

その呼ばれ方にかなりの違和感はあったのだけど

たかが、小学生だよ 最高ってなんだ


さて、6年生。演劇発表会があった。

役は立候補で決まる。

目立つ役を好む人もいる。

主役になりたい。とかさ。


第3希望まで書く用紙が渡された。

選択肢の中に大道具という、

初めて見る言葉があった。

母に大道具とは何か聞いたら

後ろの舞台の木とか作るんだと教わった。

わたしは木を作りたいと心から思った。

だから、真っ先に第一希望に「大道具」と書いた


でも空欄を埋めないといけないという真面目さがあり、

今思えば書かなければよかったのに、

2つ目は忘れたけど、3つ目に選ぶものがなく

それでも演じる役をやるのはいやだったので

ただ読み上げるだけで良いナレーターと書いた。


大道具は必要人数が多い。

その他大勢というわけ。

だから、落選するわけがない。


なのに。


わたしはいわゆるちょうど良いこどもだった

それなりに先生のいうことを聞き、

それなりに勉強ができ、

それなりに人間関係も良好で

要は、扱いやすいのだ。

先生に呼び出され、

いくつか質問されたと思ったら

3つ目にあげたナレーター役になっていた。


そのあとの日々は地獄だった。

発表当日までの練習で

なりたくもないものになり

かなりの目立つところに立ち

声を出すが、声は響かないし大きくないし

ああ、本当にいやだ

かなり厳しく指導をされた。

改善なんてするわけないのに。

なりたかった人たくさんいるじゃん、

放送委員の子とかにしようよ 

ってなんども思った。


わたしは、ある程度は内気だった

だから先生が

最後の1回くらい表舞台に立って見なさいという

優しい心遣いだったのかもしれない


がしかし。

わたしは心から、つくりたかったのだ

つくることが好きだから


いまは

つくるしごとをしてる

つくることを趣味ともしてる


すくなくとも

なりたいものになれてるんだな

それはそうよね

自分の意思でここまできたんだ


人と交わる時に、人は、

どこかに

考えてもいないところに

いったりする

それで、新しい世界に目覚めても

また、自分の世界に戻ってきても


どっちでも。





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