見出し画像

【アニメ】“仮想”を糧に“現実”を生き抜く――『夜のクラゲは泳げない』

 『夜のクラゲは泳げない』にはさまざまな「名前」が登場する。特定の人物を表す「本名」はもちろん、「芸名」や「ペンネーム」「ハンドルネーム」といった特定の業界での活動名、インターネット社会での呼び名など、登場するキャラクターのほとんどがこうした「二つ名」を持っているのだ。

 本名が本来の自分自身を象徴しているのに対し、芸名・アーティスト名・ペンネームといった二つ名はもう一つの自分、この作品風に言えば“バーチャル”な自分自身を体現していると言える。そして、おのおのがもう一つの自分=バーチャルな自分自身を媒介に、現実を生きる1人の人間として成長を遂げていくさまを描いたところに、本作の醍醐味があるのだ。

現実の重圧をバーチャルで昇華

「普通」であることを貫くために、自分の気持ちを押し殺して周りに同調してきた光月まひるは、ハロウィンの夜の渋谷で、かつて〈橘ののか〉としてアイドル活動をしていた山ノ内花音と出会う。

 花音は〈JELEE〉として主に動画サイトを中心にアーティスト活動を行っており、まひるが小学生時代に描いた「クラゲの壁画」に魅了された花音は、まひると一緒にJELEEとして活動してみないかと誘う。

 花音の誘いをまひるは一度は固辞するものの、花音の熱心に歌う姿に心を打たれたことで、JELEEのイラスト担当として活動する決意を固める。その後、音大の付属校でピアノを専攻している高梨・キム・アヌーク・めい、まひるの幼馴染であり〈竜ヶ崎ノクス〉としてVTuber活動を行っている渡瀬キウイもJELEEに加入。SNSのフォロワー数10万人を目指してJELEEの活動が本格化していく――。これが本作のイントロダクションだ。

 本作の展開は大きく二つのフェーズに分けられる。現実世界の鬱憤や葛藤や重圧を、JELEEというバーチャルでの活動に昇華するさまを描いた前半。そしてバーチャルでの活動を経て、おのおのが自分自身の生き方をあらためて見つめ直す様子にフォーカスした後半――の二つだ。前者は第1話「夜のクラゲ」から第8話「カソウライブ」まで、後者は第9話「現実見ろ」から最終話「JELEE」までが該当する。

 本作の登場人物たちは、みな現実世界に居心地の悪さを感じている。その度合いにはグラデーションがあるものの、ほぼ全員が「本名」で過ごさざるを得ない現実世界に疲弊している様子が、前半のエピソードから垣間見える。

 まひるは何者かになりたいという憧れを抱きつつも、周りの雰囲気に同調してしまう自分自身を卑下している。自分にとって誇りであった「クラゲの壁画」を友だちに見せたときも、「変な絵」という一言にショックを受けつつもその感情をひた隠しにし、その友だちと同調してしまった。

 以来、絵を描くことから距離を置き、いわゆる「普通の女子」としての毎日を過ごすのだが、本心では「特別な存在になりたい」という思春期ならではの自己承認欲求を持っている。

 キウイやめいも同様だ。キウイはVTuber活動のかたわら、生徒会長として充実した高校生活を送っていると、かねてからまひるに話していたがそれは嘘で、本当は不登校で引きこもり生活を送っていた。めいも、ミックスというその他大勢とは異なる境遇のせいで、周囲から奇異の目で見られていた。

 花音の境遇も一筋縄ではいかない。〈橘ののか〉として、かつてサンフラワードールズというアイドルユニットでセンターを張っていたが、ある理由からメンバーの1人に暴力を働いてしまい、グループからの脱退を迫られる。中学生ながら週刊誌報道の標的となり、不特定多数から悪意を向けられ、さらに、母親でありサンフラワードールズのプロデューサーである早川雪音からも見放されてしまう。孤立を余儀なくされた花音は覆面シンガー〈JELEE〉として、かつて自分を否定した大衆を音楽で見返すことを誓うのだった。

 “四者四様”の生きづらい現実。そんな日々の生活で蓄積されたフラストレーションは、「もう1人のわたし」として、JELEEの活動に参画するなかで発散される。花音はシンガーの〈JELEE〉として、まひるはイラストレーターの〈海月ヨル〉として、キウイは動画制作担当の〈竜ヶ崎ノクス〉として、めいは作曲担当の〈木村ちゃん〉として活動することで、おのおのが体感している現実世界の重圧が、インターネットという仮想世界で紡がれるJELEEの楽曲群へと昇華していくのだ。

悪意にまみれた現実を塗りかえる

 例えば第4話「両A面」では、花音をはじめとするJELEEのメンバーが、生きづらさの根源とも言える、自分自身の苦い過去に向き合う様子が描かれている。花音の姉である美音から、花音の生い立ちと現在までのいきさつについて聞いたまひる・キウイ・めいは、口々に自らの過去を吐露するのだった。

 こうして、おのおのが抱いている生きづらさの根本と向き合い、それが連鎖していった結果(事なかれ主義を貫いてきたため、トラウマ体験が思い浮かばないまひるは、なぜか恋バナをしようとする)、JELEE内に強い仲間意識が芽生えることとなった。この仲間意識をてこに、花音・まひる・キウイ・めいは新曲のミュージックビデオを一気呵成に仕上げていく。

 このとき完成したのは『月の温度』という楽曲のMVだ。JELEE2曲目となるこの曲に込められているのは、生きる目標を見失い、進むべき道に迷ってしまっても、「帰るべき居場所」だけは不甲斐ない自分自身を受け入れてくれる、という肯定のメッセージ。

 そう、この楽曲の主人公は花音であり、まひるであり、キウイであり、めいである。そして、「帰るべき居場所」とはJELEEのことだ。『月の温度』は、まさに各自が抱えている生きづらい感情と真摯に向き合った結果、生まれた楽曲と言えるだろう。

 中盤の山場である第8話「カソウライブ」の展開にも言及しておきたい。JELEEの結成1周年を記念し、正体がばれないようマスクを着用しての「仮装ライブ」を企画した花音。埼玉県の大宮にある「ホテル」での合宿を経て、当日に向けての準備を着実に進めるなか、好事魔多しと言わんばかりに危機が訪れる。ある配信者が、〈JELEE〉の正体がかつて暴行事件を起こしたサンフラワードールズの〈橘ののか〉であることを暴露したのだ。

 この配信が原因で、JELEEはネットの住民からバッシングを受けてしまう。ライブも無観客とし、配信で実施することを余儀なくされる。忸怩たる思いを抱える花音たちだが、キウイの機転で会場内にある演出を行ったことで、無観客とは思えないほどの盛り上がりをもってライブは幕引きとなった。

 その演出とは、「X(旧ツイッター)にアップされた〈JELEE〉のファンアートを会場に投影する」というもの。客席や舞台上でパフォーマンスするJELEE自身をスクリーンに、自由自在にたゆたう〈JELEE〉の大群が映し出されたのだ。

 これはこの作品の立ち位置、特に前半部分の展開を考えるうえで、とても示唆的な演出である。SNSという仮想空間でファンが生み出した絵が、無観客のライブ会場という現実世界を覆う。これは本作で繰り返し描かれてきた、「現実の重圧を仮想で昇華する」ことの完成形にほかならない。

 無観客のライブ会場。それは不特定多数による悪意の産物だ。そんな現実の重みに押しつぶされてしまった会場を、仮想空間で生まれた絵が埋め尽くす。いかなる報道があっても、最後まで信じ抜いたファンが描く、無数の〈JELEE〉たちの絵によって。配信プラットフォームのコメント欄も、最初は賛否両論入り混じっていたが、楽曲が披露されると同時に「クラゲのスタンプ」で埋め尽くされ、誹謗中傷やアンチコメントは彼方へと押し流されていった。

 JELEEが真摯に楽曲制作に向き合ってきた結果、若者を中心に多くの支持を集めるに至った。そのファンたちによって描かれ、仮想空間にアップロードされたクラゲたちが、悪意にまみれた現実世界を見事に塗り変えたのである。

花音「これは……青いクラゲたち?」
キウイ「全部ファンアートだよ。天井のプロジェクターから映し出してるんだ。合宿の部屋にあった、光の泡のシャンデリア。あれをヒントにしてさ」
花音「けど、こんなにたくさん?」
めい「みんなが書いてくれたんですよね?」
まひる「ハッシュタグができててね。全部同じ思いで書かれてるんだって。リアルな顔なんて関係ない、私たちが好きになったJELEEちゃんは、このクラゲの女の子なんだから、信じようって……」
キウイ「言っただろ、無観客でも繋がれるって。(中略)顔バレ、アンチコメント、関係ないね。そんなの全部……」
全員「押し流せ!」

(第8話「カソウライブ」より)

仮想を糧に現実を生きる

 かくして仮装ライブで成功を収めたJELEE。勢いそのままに、覆面アーティストとして飛ぶ鳥を落とす勢いで人気を集め、やがて大団円を迎える……かと思いきや、物語はここから急旋回していく。これまで仮想の側に置かれていた重心が、じわじわと現実の側に寄っていくのである。これが本作の面白いところだ。

 冒頭でも少し触れたように、本作の魅力は、バーチャルな自分自身を媒介に、“現実”を生きる1人の人間として成長を遂げていくさまを描いたところにある。そしてそれは、JELEEの活動を経て各自が自身の生き方をあらためて見つめ直す様子にフォーカスした9話以降で、いみじくも語られているのだ(本作の転換点である9話のサブタイトルが「現実見ろ」なのは、なんとも示唆的ではないか)。

 1人ずつ見ていこう。

 まず、まひるである。まひるは仮装ライブでの活躍が早川雪音の目に留まり、サンフラワードールズの新曲プロモーションイベントのイラスト制作をオファーされる。JELEEの活動を通して絵がうまくなりたいという欲求が高まったまひるは、雪音のオファーに応じる。

 しかし、そのせいでJELEEの新作MVを作る計画がとん挫し、挙句の果てには花音との関係が険悪になってしまう。それでも、まひるは絵を追求したいという自分自身の欲求に従う。

 キウイはJELEEの活動のせいで〈竜ヶ崎ノクス〉のことが地元の同級生にばれてしまい、嘲笑の対象となってしまう。11話「竜ヶ崎ノクス」の終盤、地元のゲームセンターで同級生と再会した際、思わず逃げ出しそうになってしまうが、その場に一緒にいたまひるが過去のキウイを庇ってくれたことに背中を押され、「変」な自分を肯定する言葉を同級生たちにぶつけるのだった。キウイはここでようやく、現実世界の自分を認めることができたのである。

 めいは〈木村ちゃん〉として作曲活動を行うなかで、自らが音楽をする理由が見つけることができた。それは「〈ののたん〉に喜んでもらいたい」という思い。〈ののたん〉とは言うまでもなく、〈橘ののか〉のことであり、花音のことだ。現在進行形で推している花音の喜びが、めい自身の喜びであり、音楽に打ち込む理由であることを、JELEEの活動を通して再確認したのである。

 そして、花音である。まひると衝突し、再び自らの歌う理由を喪失してしまった花音は、JELEEの解散を決意する。しかし、めいの「熱唱」で翻意。自分自身と向き合うなかで、あらためて「歌う理由」を自覚する。それは「母親に認められたい」という思い。このとき、花音は母親との関係性に決着をつけるという現実を直視したのである。

 花音の思いが結実するのが最終話「JELEE」だ。まひるの計らいでサンフラワードールズの新曲イベントに参加することとなった花音。〈JELEE〉として、スクリーンを隔てて観客にパフォーマンスを届ける花音を、雪音はじっと見つめる。その胸中にはどんな思いを抱えているのだろうか。

 それはストーリーの中盤に登場する「エンドロール」で明らかになる。パフォーマンスを終え万感の思いを抱えた花音は、まひると仲直りし、スクリーンに映し出されたクレジットを眺める。そこにはイベントの出演者や裏方の名前が流されていた。「光月まひる/海月ヨル」「竜ヶ崎ノクス」「木村ちゃん」とJELEEの名前が順繰りに表示されるなか、花音は「早川花音」というかつての本名でクレジットされていたのだ。

 仕掛け人の雪音は「本当の名前を使うのはプロデューサーとして当然」とにべもない態度をとるが、これだけで雪音の気持ちを十分に説明したことにはならない。察しのとおり、これは山ノ内(早川)花音という人物を、雪音が認めたことの何よりの証左である。かつて炎上騒動を引き起こした〈橘ののか〉は、〈JELEE〉という仮想の人格を経て、今、本来の花音として母親から承認されたのである。

 このように、9話以降、JELEEの面々はおのおのの現実を見据えはじめる。これまでの仮想を軸とした話ではなく、現実に重点を置いた物語に舵を切ったことで、「人間は結局、現実世界に生きる自分を受け入れるしかない」という峻厳な事実に気づかされる。

 しかし、まひるや花音たちに関して言えば、JELEEの活動を通して直面した葛藤や危機、そしてそれを乗り越えた経験を糧に、現実世界を前向きにとらえ、果敢に歩みを進めていくはずだ。

■作品概要
『夜のクラゲは泳げない』
原作:JELEE
監督:竹下良平
シリーズ構成:屋久ユウキ
キャラクターデザイン:popman3850(原案)、谷口純一郎
制作スタジオ:動画工房
放送時期:2024年春



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?