見出し画像

魔法使いになりたい【30日間毎日note:その5】

料理は苦手です。

苦手すぎて、月に一度、料理するかしないか、というところ……。つまり、ほぼしない……。

散歩に持って行ったお茶を、料理に数えても良いですか? 駄目ですか。そうですか。


ちなみに、母は料理上手だ。きちんと手間をかけて、美味しいものを次々と作る。

妹たちも料理上手だ。だから、育ってきた環境の問題では無い。

恐らく、問題は、私が正確性を要求される物事が苦手、という事だ。何が苦手って、レシピ通りに何かを作る事が苦痛。

料理する時って、たいてい、お腹が空いている。お腹が空いている時に、手順を守ったり、分量を測ったりしないといけないなんて……。

普段、料理をしない人間が、レシピも見ずに、適当に作ると、妙なものが出来上がるのは、当然の帰結。分かってはいるんですが。

私のカメラロールに「料理」の写真は珍しい。(これを「料理」と言って良いのかどうかは分からない)


幸いな事に、夫は料理上手だ。

我が家の料理は、全て夫が担当している。

正確に言うと、家事の多くを夫が担当していて、私は大黒柱を担当している。それぞれが、得意な分野を担当した結果、こうなった。

私の苦手な事を引き受けてくれる夫には、感謝しか無い。夫も折々に、私に感謝の言葉を伝えてくれる。何の問題も無い。

何の問題も無いのだけど。

一昨年の七草粥の作りかけ。「料理」の写真と言うより、野菜って綺麗だな、と思って撮影。


自分の料理下手に、強烈なコンプレックスを感じているのは、「料理は人生の基本だ」と言う想いが、私の中にあるからだろう。

人は、食べないと生きられないし、食べる事は人生の大きな喜びだ。

「人生の基本を、自分で担っていないのは、大人として自立していないのでは?」

そんな思考に囚われて、落ち込む事がある。

こちらも七草粥の作りかけ。お粥は、適当な分量の米と水を、適当に火に掛ければ、出来上がるのがありがたい。


自分の手で、自分の喜びを生み出すのは、どれだけ人生を豊かにする事だろう。

子どもの頃、母の手から、美味しいものが次々に出来上がるのを、眺めるのが好きだった。魔法みたいだと思いながら。

——私もいつか、その魔法が使えたらいいなあ。

半世紀以上を生きてきて、まだ、その夢は叶っていない。

でも、定年退職後なら、もしかしたら……、と、こっそり自分に期待している。

結婚前は、お粥すら作れなかったので、比較すれば進歩している……と、思う……。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。