20230615

 おはようございます、同一です。
 最近腰を痛めました。これが足元までしびれるタイプの痛みで、そろそろ医院へ行くことも検討しています。ですが、いいこともありました。そうした痛みから何とか逃れだせるように、背中や腰回りをひねってのばしたり、まるめるようにちぢませたりしているうちに、今まで気づかなかったことが不意に考えられるようになったのです。というわけで、今日は雑記としてそのへんをざっくばらんに書いてみます。

 今日において、私は枢要のものとして生活を意識するようになりました。以前までの私といえば、それは観念の住人でした。ですが、いずれは帰して存する家路への黄昏を思いながら、ふいに私は試みられた意識の旅に出たいということを感じられたのです。その旅行はもちろん、観念に舗装された道路から始まります。わたしはそこに立ち、さまざまがままならぬままに(腰をゆらしつつ)歩いてみると、徐々に気分がさわやかに、風を感じるようになってくるのでした。なんといっても楽しいのは、ビビッドのきわだつ景色の麗しさが、遠い先の過去からやってくることです。私ははっきりと、しかし確かではないような感覚を、そのようにして見出すことになります。身体が先行する体験の感覚というものを、このとき私ははじめて(あるいは知っていたことを本当に知ることが)できたのでした。

 こういう言葉のシャワーは今後も続けていくだろうと思います。
 それではみなさま、本日もお元気で。


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