オリジナル三題噺「トリクル・トリクル」

キーワード「歩く×宝石×紫陽花」
trickle(トリクル)...したたる、ぽたぽた落ちる


創作百合【ハイコントラスト】より
主人公・田原 美恵(たはら みえ)と知人・幾瀬 葉音(いくせ はのん)が中学生の頃のお話です。



不変の日常を願って単調だけど確かに送られる毎日が退屈だった。
狭い箱の中で如何に楽しむことができるか。それを試すだけの、つまらない箱庭。
子供から大人になるあいだの、ほんのちょっとの狂気と倫理の欠如が生まれる中学生というあの期間。
葉音がうっかり紫陽花を手折ってしまったのも、ちょうど、その頃。


トリクル・トリクル


ポニーテールに束ねた髪を揺らしながら、葉音は図書室を歩いていた。
目的はたった一つ。あの子に嫌がらせをするためだ。
公立中学の図書室なんて、今や利用者の方が少ない。片手に百万冊ダウンロードできる現代、生まれたときから本を手にできる家庭なんてそうそう無く、更に言えば、この県はあまり豊かでないので本すら買わない家庭も多い。
葉音はたまたま親が裕福で、たまたま、読書をする家庭だった。それだけの恩恵が、こうも周りと一線を画す。
おかげで受験勉強なんてものに追いやられそうになったものの、これまた上手い具合にすり抜けて、葉音は近所の公立中学に入学した。
通学距離の短さは、反比例して暇な時間を生み出す。授業なんて聞かなくても分かるし、塾にも通っているのでぶっちゃけて授業すら休み時間になる。
そんなわけで、先生たちがテストや課題にあたふたしている影でこっそり、こんなことをしでかしているわけだった。
「何読んでるの」
「……」
いじめ、ではない。嫌がらせだ。
本を読んでいるときに声を掛ける、ささやかな嫌がらせ。
一ヶ月も経てば相手も分かってきて、もう顔を上げてももらえない。
「田原さん?隣座るよ」
「じゃあ、帰るわ」
「我儘だね」
「どっちが」
良いところだったのだろう。怒気を滲ませた彼女に問答無用でくっついて、すん、と首筋の香りを嗅ぐ。
手のひらに顔を押し退けられて、鼻が歪んだ。
「いいじゃん。暇なんでしょ、構ってよ。田原さんくらいしか話合わないしさ」
「貴方のそういうところが悪い」
「ごめんって」
尚も密着を諦め切れず腕を伸ばすと、今度こそ彼女は立ち上がりスカートを翻した。
「どうして構うの」
「暇そう、話が合う、時間になるまで帰らない、から」
「……貴方、本当に、性格が悪いわね」
「そだよ。知ってるでしょ」
「……」
むす、と表情に感情が浮かぶ様に、気分良く頬杖をつく。
田原美恵。葉音と同じ学年で、中学二年に上がってようやく一緒になれた、念願のクラスメイトだ。
小学生の頃からの友人・岸田鼓実と一緒に帰ることが多く、部活に勤しむ友人を待って、決まってこの場所で時間まで過ごしている。
それを知ったのが去年で、同じクラスになってからはほぼ毎日、葉音は生徒会の仕事が終わるとここに立ち寄っていた。
「悪趣味。無視をしても騒がないで欲しいわね」
「さあーどうかなあ。しちゃうかも」
「それなら私が先に言うわ」
「ーーっと、冗談が通じない子だな」
流石に先生に報告されては葉音も困る。親との交渉条件に入っているからだ。
成績キープ、問題を起こさない、生徒会に入る。この三つを守るなら、自由にしていい。
そのために葉音は友人を選んでいて、これもつまりは友人になりたいからの行動なのだけれど、なかなかどうして、美恵には伝わってくれなかった。
手首を掴まれて、あからさまに美恵は顔を顰める。ちょっとくらい、手加減して欲しい。
「友達になりたいんだってば」
「言ってなるものじゃないでしょう」
何度も繰り返された会話に、にへ、と笑うのはいつだって葉音だけだ。
絶対零度の態度と体温。これは今日も葉音の負けかもしれない。
「……あー、本気なら謝るし、止めるけど……岸田さん来るまでの間くらい、一緒に居させてよ」
両手を挙げて、降参する。
長いようで短い沈黙を、美恵の溜息が拾い上げた。
机の脇に置いていた鞄を椅子に載せ、本を中へ仕舞い始める。
「え、なになに。そんなに怒らなくてもいいじゃ、」
「帰りましょう」
パチン、と彼女の指先で留め具が音を立て、葉音の焦りを喉元に留める。
「……え?」
「急がないなら、置いていくから」
「いや待って待って!行く!帰る!」
慌ただしく椅子をしまって、静かにしなさい、なんてやる気なく怒る司書の声を素通りして行く。
葉音は鞄を教室に置いていた。美恵は待ってくれそうにないので、駆け足で先を追い越し、二階へ急ぐ。
一段飛ばしに降りてきて、廊下で転びそうになった身体をなんとか立て直し、靴箱を開けて投げるように靴を取り出した。
飛び出した玄関の先、葉音は駆け出した足がもつれるかと思った。階段の下でちょこんと、美恵は丁寧に待ってくれていた。
よろめきながら同じ場所に並び、大きく息を吐いて身体を折り曲げる。
「待っ、……は、あ、はあ……腹痛……っ」
「そんなに信用が無いのね」
「あ?あいや、待った、口がわるいや」
「今更」
歩き出した彼女を追い掛けて、痛む腹を抑えながら足を動かす。
大した会話をするでもなく、葉音の息切れが収まるまで──駅に辿り着くまで、車の音がしばし響いた。
中学は町中にあるから、大抵は自転車で通う。美恵が自転車に乗らないのは意外でもなんでもないけれど、電車通学なのはあまりに夢がなくて詰まらない。
カンカンと鳴り響く踏切の音に、二人揃って足を止めた。つい最近歩道が整備されたこの道には、市の緑化活動の延長で紫陽花が植えられている。
雨が降ったわけでもないのに葉に雫が溜まっていて、葉音がなにとはなしに目を落としたところを、美恵も倣う。
「綺麗ね」
電車の音が、声を奪う。そう言ったのだろうと思って、紫陽花に手を伸ばした。
「なんて言った?聞こえなかった」
電車が過ぎて、遮断器が上がっていく。美恵の宝石みたいな黒い瞳越しにそれを見届けてから、返された言葉に耳を疑った。
「早く飽きて」
力加減を、謝る。
完敗だった。

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