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【小話】やく



病気お見舞いのお返しは、しないように致しましょう。


 そんなことが書かれた看板が、近所の神社だかお寺だか――子供は得てして両者の区別があまりついてないものだが――にあったのを記憶している。小学生の頃だった。看板は古ぼけていて、筆字、またはそれらしいフォントで、縦に書いてあった。その有無を言わせない断定と、妙に丁寧語なことも相まって、なんとなく不気味に感じていたのが、この看板のことを覚えてた理由なのではと思う。

 病気お見舞いのお返し、つまり「快気祝い」のことだと思うが、これは病気が快復した後で、見舞われた側が見舞ってくれた人、または病院などに対してお礼の品を贈ることだ。僕は幸いにしてこれといった大病にかかったこともなく、また周りにそんな人もいなかったので、快気祝いを贈った・贈られたことは無い。しかしこれを禁止するというのはどういうことだろうか?そう思ったのは、大人になって地元を離れてからのことだった。

 気になって理由をインターネットで調べてみたりもしたが、これといった情報は得られず。むしろ「お返し不要と言われてもそれは遠慮なので、贈るのがマナー」とか書いてあった。なんじゃそりゃ。
 ただちょっと気になったのは、お見舞いをされた病人がお返しをできなくなってしまった場合。つまり病人が治療の甲斐なく亡くなってしまった時のことだ。これはどうするのかと思ったら、その際は、お葬式の際に香典返しに足す形で、お礼をするのがマナーなのだそう。・・・なんだか面倒だ。
 もしかしたら、そういう煩わしいやり取りを避けるために、一律でお返しを禁止したのかもしれない。最近は年賀状のやり取りを禁じている会社もあると聞くし、こういう煩雑な儀礼は省略するのが最近の流れだろう。

 そうでないなら、もし僕の地元限定で「病気お見舞いのお返し」自体に何か忌むべき意味があるなら。例えばそれで何かよくないものを引き起こしてしまうとか、そういうオカルトな、民俗的な禁忌があったなら、また違う話になる。しかしそれは結局分からなかった。僕はそもそもさして民俗学に造詣も無いし、そこまで調べる気力もないし、看板があったお寺(お寺だった)には今はもうその看板は無かった。

 ・・・ここまで長々と前置きしてしまったが、この記事で書きたい話は別にあり、しかも「気お見舞いのお返し」とは関係ない。ふと思い出しただけで本筋には関わらないし、まして何か呪いを受けたとか怪談の話でもないので、いったん忘れてもらって。
 僕は先ほど快気祝いにかかわったことは無いと書いたが、その昔、病気の友達にお見舞いの品を贈ったことがある。それについて、僕が何か別に悪いことをしたわけではないのだが、結果として後味が悪い結末になってしまったので、少しの懺悔の気持ちを込めて小話として残すことにした次第で。

***

 小学校4、5年頃、確かポケモンのルビー&サファイアがが出た頃の話だが、仲の良い友達が一人いた。その子は先天的に何か病気を患っており、すぐ骨が折れてしまうとかで、常に車椅子でいた。でもそれ以外は普通の男の子で、勉強はでき、頭の回転が速く冗談を飛ばして周囲を笑わせたりして快活な子だったと記憶している。僕は同じクラブ活動(科学クラブ)だったこともあり、車椅子を押して一緒に焼き芋を焼いたり、校庭でペットボトルロケットを飛ばしたりしていた。

 そんな子だったが、ある時学校を休むようになった。先生が言うには、高い熱が出続けているという。風邪ではなく、なにかもっと面倒な病気であるらしい。(ウイルス性の脳炎などでは?と今は思っている)
自然の流れとして、お見舞いをしようということになった。僕含めてその子と仲の良かった者数名で、家を訪ねようという話になった。それなら当然お見舞いの品を持参していこうとなったのだが、そこで僕に思いつくものがあった。
 
 ちょうどその頃父が厄年で、あえて名前は伏せるが福岡では有名な厄除けの神社にお参りに行くことになっていた。僕は友達からもいくらかお小遣いを徴収して、代表してその子のために「厄除けのお守り」を買った。
 ・・・今思えば病気平癒とかでよかった気もするが、厄除けを買った。厄除けで有名な神社なのだから、そこで別なお守りを買うのは、ラーメン屋でカレーを頼むようなもったいなさがあった気がしたのだ。なにせ有名な厄除けである。病気は紛れもなく「厄」だし、効くに違いないと。

 そんなわけで買ってきたお守りと、あと花だかお菓子だかを携え、僕らはその子の自宅へお見舞いに行った。その子はベッドで寝てはいたがわりあい元気に見え、いくらかおしゃべりした。うつすと申し訳ないから、(うつる病気なのか不明だったが)ということで早めに退散したが、お守りは大事に枕元、ベッドの柱のような部分にくくりつけられてたように覚えている。

 あの調子なら大丈夫だろう、と僕らは楽観的に思ってた。普通に話せてたし、ポケモンのストーリーも休んでる間にもうチャンピオンまで倒していたし。すぐまた学校で遊べるだろうと。そう思っていたのだが。
3日経ち、1週間経ち、それでもその子は学校に来なかった。いくら薬をのんでも熱が引かなくて、ついには入院したのだという。

 僕らは急に心配になり、病院までもう一度お見舞いに行くために担任の先生へ相談した。多分その時だったと思う。僕は話の流れで、厄除けのお守りを贈ったことを先生に話した。
 その瞬間が妙に記憶に残っているのだ。優しい先生だったのだが、急に険しい顔になって。「厄除けを贈ったのか?」と冷たい声音で聞かれたのだった。なんなら褒められると思ってたので、何か怒られることをしたのか?とショックだった。
 事のあらましを話すと、先生は教室から出て、廊下で何やら電話していた。それから戻ってきて、今は面会はお断りらしいこと、お見舞いできるようになったら先生が教えてくれること、それから、お守りには種類があるから、厄除けはこの場合贈らないようにすることを、言われた。その時にはもう優しい先生に戻っていて、心配する僕らを励ましてくれた。それだけに、あの一瞬の厳しさが印象として忘れられないのだった。

 それからすぐにその子の熱は引いたとかで、退院をしたらしい。しかし学校に来ることはなく、また入院したとか、噂が色々出る中、「健康の問題で、みんなと一緒に勉強ができなくなった」ということで、転校することになったと先生から話があった。先生ははっきり説明してくれなかったが、おそらく、高熱の後遺症が何かしら出てしまい、普通の学校に通えなくなったのではないのかと思っている。

 結局今日にいたるまで、その子とは会っていない。亡くなってしまったのか今もどこかで生きているのかも分からない。厄除けを贈ってしまったことでその子の病状になにか悪い影響を与えたのか?そんなことは分からないし、流石にそんなことは無いと信じたいが。ただこの話は、友人を失ってしまったショッキングな結末と、後味の悪い罪悪感をもって今日まで忘れずにいたということである。特に劇的なオチも怪奇現象もなくて申し訳ないが、記録と何かこの件について神道に詳しい方とかいれば、ご意見いただければなと思ってnoteに残した次第です。長文乱文失礼しました。

 そういえば、その子から病気お見舞いのお返しをもらうことも、ついぞ無かったなあ。









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