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【小話】押しボタン


 突然だが、僕は交通事故を起こしてしまったことがある。


と言っても、僕が車や自転車で誰かを撥ねてしまったわけではないのだが。しかし、それは紛れもなく僕の行動によって生み出された事故だった。

 事の経緯はこうだ。数年前のある晴れた休日、実家の近くを散歩していると、見晴らしのいい直線道路に差し掛かった。住宅街ということもあり車通りはさして多くなく、そのため押しボタン式の横断歩道が設置されていた。

正直な話、見通しがいい事もあって普段は車がいないことを確認して信号を待たずにさっさと渡ってしまうことも多かったのだが、休みの日で気分がのんびりしていたのだと思う。その日は律儀にも(当たり前なのだが)、ボタンを押して、信号が青になるのを待つことにした。遠目ではあるがこちらへ向かってくる車影が見えたというのもある。急いで渡れば間違いなく車が来る前に向こうへ行けるほどの距離だったが、ともかくも安全に待つことにしたのだ。

押しボタン式信号というものは押してから実際に信号が変わるまで、結構なタイムラグがある気がするのだが、その時は押してすぐに車側の信号が黄色に変じた。向かってくる車は減速している。
あ、これ車に待ってもらうことになっちゃったな。通り過ぎてから適当に渡ればよかったかな。と若干の申し訳なさを覚えながら、歩行信号が青になるのを待っていた、次の瞬間である。

金属と金属がぶつかる凄まじい音。横断歩道前でまさに停止しようとしていた車の後方から、もう一台の車が止まり切れずに追突。ぶつかられた前方車両は、トランクがへの字に曲がり大破。エアバッグが膨らみ、慣性で押し付けられる運転手の姿が、僕からもスローモーションのようにはっきり見えた。

暫時茫然としていた僕だったが、前方・後方の運転手両者が車から飛び出してきた。大きなケガはなさそうだ。同乗者の姿も見えない。運転者のみだったようだ。あーよかった。でもこれ、僕が通報とかした方がいいのか?目撃証言とか求められるのかな?そんなことを思っていたら、二人は僕には目もくれず話し合い始めた。
それを見た僕は急に居心地が悪くなり、なにか巻き込まれる前に、話を振られる前に、気付かれないようにこっそりと。まるで轢き逃げ犯のような罪悪感でもって来た道を引き返したのだった。

僕が信号を止めたから―――。

 この話を人にすると、決まって「お前は何も悪くない」と言われる。僕もそれは納得している。
事故処理上僕は加害者でも被害者でもなくただの傍観者で、偶然にも事故のトリガーとなったボタンを押したが、それは信号を止めるという歩行者の当然の権利と義務を行使したまで。強いて言えば二人の安全と、目撃者として証言が必要かどうかを確認してもよかったかもしれない。しかし運転者二人はとりあえず歩いて話せていたし、証言するまでもなく後方車両の不注意であることは現場から明々白々で。やはり僕がこれ以上関わることも、気に病む道理もないのだとは思う。

しかし僕が押しボタンを押さなかったら、あの二台は間違いなく安全に僕の前を通過していたのである。
僕の気まぐれな法令順守が、あの二人の車と、平日な休日の予定を破壊したのである。これもまた事実だろう。車が来る前にさっさと渡ってしまうという要領の良い軽犯罪を僕が犯していれば、世の中の不幸の総量がほんの少し減ったのである。

デジタルな信号を0から1に切り替えただけのその行為が大きく運命を変えて、そこには善も悪も無かった。ただ因果と結果が残って、僕の中にはモヤモヤが残った。というお話。


……とまあ、特にオチもなくて申し訳ないですが、祝日で暇だったので思い出した話を書いてみた。どうなんでしょうね?もし僕がボタンを押さなくても、そこから色んなルートが分岐して、最終的に二人は交通事故に遭ったりしたんですかね?
そんな運命保存の法則はいかにもオカルトっぽいですが。

皆さんもその押しボタン、そのワンクリックひとつで、思わぬ結果が起こるかもしれませんよと。まあそんな軽い覚悟を持って生きていきたいものです。さめでした。

 




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