桃屋乗平@月刊Simple

1979年創刊の三重県のタウン情報誌「月刊Simple」発行人。 第62回神宮式年遷宮…

桃屋乗平@月刊Simple

1979年創刊の三重県のタウン情報誌「月刊Simple」発行人。 第62回神宮式年遷宮に関する官民で構成する「御遷宮対策事務局」プロデューサー。 筆名は写真家浅井愼平氏が名付け親

最近の記事

鏡宮神社

朝熊神社の手前、二つの川が結ぶ三角州に祭られる鏡宮神社。 参道を吹き抜ける川風が背中を押すように宮の前へと私を連れてゆく。  鏡の文字に残された謂れは、 その昔神鏡二面が祭られていたことによるもの。 二面の神鏡とは日神、月神の化したものだったのだろうか。 社の右奥に進むと、そこには柵で囲われた「虎石」と呼ばれる 露天祭祀の名残りの岩が水面に覗いている。

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    • 朝熊神社・朝熊御前神社

      古代、神の社などなく、 榊などの常緑樹で周囲を囲った祭場である神籬を立て 神迎えをする祭儀が自然界に畏怖畏敬の念を持ち、 暮らす人々の慣習であった頃、 伊勢の朝熊山は神迎えの山であったという。 その神を麓の朝熊川と五十鈴川が交わるこの地に招き、 祭儀が執り行われていたというのである。

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      • 多岐原神社

        倭姫命が天照大御神を奉載しご鎮座の地を求めて宮川を上る旅の途中、 急流の瀬に行く手を阻まれ困窮していると 真奈胡神が出迎え無事に渡ることができたことから、 命はその地に真奈胡神を祭る御瀬社を定められたことが 多岐原神社の起源と伝えられている。

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        • 瀧原宮・瀧原竝宮

          遥宮。 その言葉の響きに二千年余の昔、倭姫命が天照大御神の永遠の 大宮処を求めて巡った旅の謎が秘められていると私は思っている。 かねてから神宮創始について自分なりに考察しつづけきたが、 倭姫命がこの地に新宮を建て大御神を暫時お祭りしたとの伝承に 注目すると、何故大和から見てこの地にその意味があったのか、 という疑問が浮かぶのだ。  本殿の東に建てられている御船倉に答えの糸口を 見つけたようにも思うが、鬱蒼と茂る杉の大木から漏れる陽に 迎えられるように参道を歩くと、創始の深

          神の庭を訪ねて

          お伊勢さん、と親しく呼ばれる伊勢神宮の正式名称は「神宮」。   天照大御神をお祭りする皇大神宮、内宮と、豊受大御神をお祭りする豊受大神宮、外宮の両正宮のほかに、十四の別宮、四十三の摂社、二十四の末社、四十二の所管社があり、合計百二十五もの社からなる宮社の集合体である。  広く伊勢には土や風、そして水をはじめとする多くの自然力が、神として祭られ、人の思考を超越した自然の神秘のなかに存在している。清浄であり素でもあるこの国のはじまりの姿、形の記憶が明確に息づいているのだ。