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「1971年うまれのぼんやり音楽体験」 第5回 RATT

RATTというバンドを知ったのは、「夜のヒットスタジオ」だったと記憶している。おそらく、80年代中盤ぐらいに起こっていたHR/HMブームの流れからだったのではないだろうか。HR/HMとはハードロック及びヘヴィメタルのことだ。どっちがどうとか、そういう棲み分けはわからなかったし、いつどんな形でやってきたのかはぼんやりしているのだが、長野県の片田舎にも、ブームの波は確実にやってきた。何しろ、昨日まで聖子ちゃんや明菜を聴いていた2歳上の姉が、アースシェイカーという日本のHR/HM バンドを聴きだしたのだ。姉の部屋の前を通ると、彼らのヒット曲「RADIO MAGIC」がかすかに聴こえてきて、いつの間にか覚えてしまうほどだった。

海外では、俗に言う「LAメタル」が大人気のようだった。そんな時代の波に乗って、LAメタル人気バンドの一角、RATTが日本にやってきた。真っ先に目に留まったのが、ギタリストのウォーレン・デ・マルティーニ。外国の不良っぽいミュージシャンでありながら、どこか育ちの良さを感じる細身のイケメンで、化粧をしているせいか、ちょっと中性的な雰囲気も感じさせた。今思えば、所謂グラムロック的なビジュアルでもあったと思う。何しろ、超絶カッコよかった。さらに、持っているギターがヘビ柄なのが非現実的で、なおさら魅力的に映った。

そんなウォーレン擁するRATTを「夜のヒットスタジオ」で観たのは、アルバム『Dancing Undercover』(ジャケが最高)発売後に来日したときだと思う。特設スタジオでシングル曲「Dance」を演奏していたのを覚えている。「Dance」は、イントロとサビのディレイをかけたリフが印象的で、今思うとそれまでのRATTのイメージとはかなり違うものの、聴くもの見るものすべて新鮮な中高生にとっては最高にカッコよくてキャッチーな曲で、1回聴いてすぐ好きになった。録画した映像を、何度も何度も観た。たとえその場ではあてぶりだったとしても、見た。またあの映像見たいな~と思って今YouTubeで探してみたら、なんとあるではないか。

ウォーレンは、演奏前のトークで古舘伊知郎に話を振られて適当に返事をしながら、スタジオにも関わらずタバコを吸っていて、曲が始まる前に吸いかけのタバコをヘッドに挟んでギターを弾き始めた。なんという昔ながらのバッドボーイズ・ロックンローラーな態度。さりげないその所作が超ウルトラ決まってる。やっぱり好きだ、ウォーレン。今見ると、演奏中のアクションに少しキース・リチャーズが入っているようにも見える。当時の僕は、しばらくして親にギターを買ってもらった。そして、ヤングギターの増刊号『100%RATT』を買って、譜面を見ながらRATTの曲を弾こうとしたものの、ウォーレンのパートは初心者には理解不能なフィンガリングで、あっさりと挫折した。ただ、ギターを覚えるために、そこからさらにいろんな音楽を聴いて深堀りしていったことを考えると、RATTと出会い、ウォーレンに憧れたことはちょっとした人生の転機だったのかもしれない。自分にとってRATTは、それぐらい思い入れのあるバンドだったのだ、ということにたった今気づいた。

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