見出し画像

犬の避妊手術を通して生き物の在り方を考えた話

突然ですが犬を飼いました。

5歳のチワワの女の子です。


迎え入れた経緯を簡単に言うと迎え入れた犬は働いている店のオーナーが経営しているブリーダー犬舎の繁殖犬として生活していた犬であり、出産上限がきたので里親を探すとなり、引き取った。

私は実家暮らしで、幼少の頃から父親が「動物を飼うのは嫌だ」と言っていたので自分が引き取るつもりは最初はなかったのだが

私が入社した頃からずっと近くで見ていた子が、もしかしたら二度と会えなくなるかもしれない。

そう思うとすごく悲しくて寂しくて、たくさんたくさん悩み、家族に話をし、なんとか父親に許可を取れた。

動物は嫌いだと言っていた父親は迎え入れた犬にダダ甘になり、可愛がりすぎるあまり人間の食べ物まで食わそうとし、私と喧嘩する始末だ。(これもまた今度愚痴る)

そうして先日、犬の避妊手術を行った。

犬の避妊手術は大層なものでは無いので日帰りで行った。

家に帰り、疲れと痛みで気だるげに眠っている犬の腹を見ると

ふわふわとしていた腹の毛を刈られ皮膚が露出していた。

腹の中央にはガーゼ素材の絆創膏のようなものが貼られており、普段は毛で隠れていた乳首は何度も行った子育て期間の授乳の影響で少しよれており、存在感があった。

私はそれらを見て呼吸が一瞬詰まった。

彼女は繁殖犬としてオーナーの元で育ち、子を産み育てる役割を持っていた。

オーナーは犬(特にチワワ)を愛して止まないのでとても良い環境で飼育され愛されていたことは間違いない。

それでも彼女は繁殖犬、言葉を選ばず言ってしまえば子を産むための生き物だったわけだ。

人間のように自らの意思で子を作り、産み、育てあげるということは、彼女には出来なかった。

子が作れる時期になると雄犬と交尾をさせられ、妊娠をし、産み、育て、2ヶ月もすれば子と離れさせられてしまう。

ブリーダー業を悪く言いたいわけではない。

ただ、この小さな体の生き物が何度も何度も、決して楽では無い命の連鎖の母体であったということ。

そしてその小さな体の中で何度も命の連鎖を繋いだ臓器はもう彼女の体には無いということ。

その事実は私には強烈すぎる命を感じさせた。

私は女で、命を宿し産むことができる体である。(しかしその時にならないと命を宿し産めるかどうか分からないことではあるが、臓器があるという点では、ということにしておく)

私はある事情から自分の体に子を宿し、それを産むことは必要ないと考えている。

そんな自分が、自分の元に彼女を迎え入れたのは、果たして本当に良かったのかと不安になった。

もちろん迎え入れる前に様々な話を色んな人から聞き、最期まで責任を持つことは決めている。これは決して揺らぐことは無い。

ただ、この小さな生き物が繋いだ命のことや、彼女自身のことを考えると、自分の存在について足元が消えるような感覚になる。

私は人として正しい道を歩みたいと常々思っているのに、生き物としての道から外れた思考を持っていることが、たまらなくおかしく思う。

きっとまだ答えは出ない。

でも逃げ続けてはいけないと少し前を向く機会にはなった。

腹を出し、白目を向き、小さないびきと共に小さく上下するふわふわの体の小さな彼女を撫でながら今日はお別れです。

本日も1日お疲れ様でした。

彼女はすごい顔で寝る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?