20200803 ちょっと長い

私が映像記録の演劇を見る気にならないのは、そして、実際に見た演劇の映像は見たくなるのは、どうしてだろう。ライブ性みたいなものと関係あるかな、ないかな。

今年は塩屋にずっといたからか、梅雨をよく感じた年だった。去年はからつゆだったし。個人的ナンバーワン梅雨の思い出は、実家の近くの民家に、紫陽花がふぁさーーーと生えていて、それに沿うようにブラックベリーが実をつけているのを見たことだ。そんなに大きくない庭で(ほぼ玄関のような)、その2種類しか植物がない。雨にやられる毎日に紫陽花を目にするだけで、まあ紫陽花咲いてるからいっか、と(私は)思えるから、紫陽花だけでもいいはずやのに、梅雨の時期にある種ピークがくる植物を2種類植えている、このことに梅雨に立ち向かう強い意志を見た。だってこの時期以外はアレでしょ。まあたまたまなのかもしれないが。

実家から塩屋に向かう助手席で、波乗りジョニーをきいている。高校生の夏、おれ、波乗りジョニーで打席立ちたいねん、と言ってくれた野球部のあの子のことを思い出す。応援いけなくて、ごめんなさい。ずっと心残りだ。車からまちを眺める。カバンを前にして歩く学生たち。今日みた学生はみんな体操服だった。セーラー服は暑いからね。

シオチョコに置いてあった台湾の雑誌。台湾人からすると、日本人の台湾人気どうして?汚いやろ?と思うらしい。結局塩屋も汚いよな?と思ってしまった。語弊があるな、ピカピカしたまちではないやん?ということ。そういうなんとなくのノスタルジーが、人の心になんらかの、、、と考えかけたところで、ちゃんと勉強しようと思った。まちと、歴史と、ノスタルジーと、その受容(消費かもしれない)のされ方。あと台湾の勉強も。

そしてここにいると、だんだんと、中の人になっていくような感覚がある。今まで外でしかなかった私が、何かの「中」にいる日が、、いつか来るのか。?

ふと思い立って、彼を海に誘う。今日は海がみたいんだ。!電車に乗っていると、「月すごいで、」とLINEがくる。ほんまや、平安時代の絵みたいな月やな、と返事する。20時前に須磨で落ち合って、ぼうっと海を眺める。今日は満月なのだそうだ。ぴかーーっと光るそれをみて、なぜ今日彼を海に誘ったのかなんとなくわかったような気がした。今日の月は0時ちょうどに満月になるらしい、と彼。じゃあそれまでは満月じゃないし、それから後も満月じゃないってことやんね。全部満月もどきやん。私たちは満月と思っているものも、実はちょっとだけ満月ではないし、見られたとしても一瞬のことで、ほんの一瞬しか満月なんてないんだと思うと、さみしいような気持ちになる。時計を確認しながら月を眺める。0時にぐっと大きくなったような気がした。

夜の海ではカモメが何度も鳴いて、ある曲を思い出す。きっと今日の日を忘れないだろう。

海辺には若者の集団が何組かいて、彼らは花火をしたり、飲んでとんでもないことになっていたので、場所を移動した。夜もふけたなあと思っているとぱらぱらと音がした。音の方に目を向けると、何度か、小さな打ち上げ花火が上がっていた。今年はもう見られないと思っていたけれど。

満月、本当は1時やったんやって。

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