嬉しかってん

最近なにしてるん、もしくは、なにしてる人ですか、と聞かれたら、日記書いてます、と今の私なら答える。それくらい平穏な毎日。今日はそれに、運動しています、が増えた日だ。1ヶ月くらい、運動不足解消に努める。もし5キロ痩せたら、友人が髪を染めるらしい。痩せようと思っている。

しかし干したお布団はきもちいい、お布団と枕を干し、シーツを洗濯した日中の私、ありがとう、と昨晩心の中でつぶやいたが、それは朝起きても同じことで、なかなか布団から出られない。こんなだったら毎日布団干そうかなと思う。

そして毎日とは言わないまでも、自分の身体を知る機会が必要だ。身体を動かすならなんでもいい、ただ、今みたいな無知のままではいけない。鷲田さんの本を読んでいると、体を「アホにしない」ための術が書かれていて、実際「アホ」になってしまった自分の身体、もしくは自分の身体がアホかアホでないかもわからないような今の状況を払拭しようという話。
ということで、今日からエセ演劇部やる。
ランニングと、体幹と、筋トレと、発声と、観劇、ダンス、と、脚本、ちゃんと全部やらないと入部が認められない。やるぜ。そしてちゃんと早起きしよう。あわよくば、ダイエットになれば。

二人の間に知らない時間があるほうがいい。相手を想う時間になる。すべての時間を知ってしまっていると、考える時間がなくなってしまっていて、つまらないのだと思う。私は一緒に住む人たちの、詳細の情報をあまり知らない。だけど、だからこそ、不意に平野さんが茨城出身と知ったときや、葉月さんと高校の時の顧問の先生が同じことがわかった時の、その発見が楽しいし、いつまでだって相手に興味が生まれる。だけれど、特に近しい相手の時、すべてを知りたいと思ってしまうのは、人間の性でしょうか。

リビングで朝ご飯を食べる。同じテーブルにテレワークをする人、資格の勉強をする人がいるので、部屋に帰っててべようと思ったが、今部屋に帰るとより気を使わせてしまいそうだと思って、こっちが気を使いながら食べることにする。食べている間なんとなく本を読もうと思って、恵文社一乗寺店で購入した、鷲田さんのコラム集をめくる。その中でハッとさせられた部分を。以下、鷲田清一 生きながらえる術より引用。

ファッションというのはバランスである。バランスであるからには、その人の佇まいに、逆方向の二つのヴェクトルが交叉しているほうが人目を惹く。全面フェミニン、全面マッチョは、退屈なのだ。体の表面に何かの動きが生まれると、同時にそれを否定するような動きも生まれるというところに、蠱惑や妖しさが浮き立つ。 

なるほど私にはそういうのが足りねんだ。どうしてか魅力的な人っていて、私もそうなりたい、と願っているが、こうやってひとつひとつ勉強して、それを自分で紡ぐからこそじわじわと溢れるものなんだろう。いろんな人の文章を読んで、いろんな角度から世界をみる、自分と向き合う方法を身につけていこう、改めてそう思う。しかし鷲田さんの文章には、キュンとするような物言いがたくさん出てくるのでとても勉強になる。

お昼を呼ばれて、プリンを作って(成功した)、電車に乗って実家へ帰る。席は空いているのに立っている人がいたり、二人席に横並びで座っている乗客が空席を見つけると席を移動して間隔をあけたり、電車の窓があいていたり。ドアから入ってくる乗客を観察していると、みんなどこで乗車するか迷っているようだった。

家に帰ると、連日の騒ぎでお母さんが参ってしまっていて、少し心配になる。元気を出そうと頑張る。ちょっと笑っていたと思うけれど、私のために笑っていたんではないか、ほんとに大丈夫かなぁ。一緒に、久しぶりに某アイドルのライブDVDを観た。

嬉しかったこと。ある友人が私のひとえの目を褒めてくれた。よく自虐してしまうけれど、実は私もすごく気に入っている。みんなはふたえがいいんだろうし、それはそれでいい。だけど、こんな目も素敵でしょ。みんなと違っているけど、いいでしょ。いつか誰かが気づいてくれると思っていたけれど、案外近くにいて嬉しい。ひとえ界に革命起こすぜ、私。魅力を発信していくぜ、私。みていてほしい。

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