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087:一年の計

 昔の人はうまいこと言ったもので、最近になって「一年の計は元旦にあり」という言葉の意味が何となくわかって来たような気がしている。

 2023年1月1日、今年は親の住む福島県いわき市ではなく地元で迎えた元旦の朝にウォーキングしながら昨日までの一年間を回想しつつ今年一年、そしてその後の人生的なものをどうしていこうかなどとぼんやり考えてみた。

 そんなことを考えるようになったのは、やはり昨年11月に脳梗塞になった影響が大きいのだと思う。まだリハビリの途中段階であり回復したとは言えず、まだまだ振り返るには早いのだけれど、まず感じたのは「自分の生命には終わりがある」というアタリマエのこと。これ意外と自分では分かっていたつもりだったのだけれど分かっていなかったことが分かったw。

 限りあるものは有効に使わないと勿体無いよね、という気持ちは発症前より強くなったように思う。でもそれは「できるだけ健康に気をつけて長生きしよう」というのとはちょっと違う感じ。

 今回病気して改めて自分が「生かされてる」というか「改めて生き直しの機会を与えられた」という不思議な感覚があるのだけれど、仮にその「有効期間」が10年だとして、その期間を15年20年と延長するためにつつがなく生きよう、というのではなく、与えられた10年間を思いっ切り有効に使い倒してやろう、という気持ち。

 で、何をするか。基本的にやりたいことは病気の前と大きく変わってはいないんだけど、自分が一体何をしたいのか、ちょっとエラソーに言うと「何を為すべきか」について、もっと具体的にというか、言語化して考えるようになった。ような気がする。今朝の元旦ウォーキングで降りて来たのが、

スポーツとゴルフで世の中をもっと楽しくする

という言葉。残された時間これだけを実現するために暮らしてゆく、逆に言うとそれと関係ないことはやらない、ということ。今までと基本的には変わらないのだけど、やることとやらなくて良いことがよりハッキリと自分の中で層別された感じ。

 それと今回病気して改めて痛感したのが、いざとなったら自分の身は自分で守るしかない、ということ。これまで自分は会社に身を置いて仕事をしてきたのだけど、会社に殺されるような生き方というか、過度に会社に何かを期待するような生き方をしてはいけない、ということをとても強く感じるようになった。もしかしたら、それが今回の病気で得た一番の教訓のような気がする。

 なんていうことを考えながら歩いていたら、初日が顔を出し始めた。


 何だか神々しい写真がたくさん撮れた。今年も楽しく生きよう。

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