チェルノブイリツアー DAY5(最終日)
【チェルノブイリ・ダークツーリズム】
DAY 5 キエフ
0.03μSv/h
■地下鉄
■バビ・ヤール
■アンドレイ坂
とうとう最終日。幻想的というかSF映画の中のような夢でも見ているかのような1週間だった。
最終日は夜の飛行機までフリータイムが丸一日あったので、ツアー仲間の方々数人とユダヤ人大量虐殺の跡地『バビ・ヤール』に行くことにしました。
キエフは地下鉄がとても深く、大山顕さんもおすすめされていたので、果敢に地下鉄に乗っていざ『バビ・ヤール』へ。
地下鉄は深さにも驚いたが、何より深いホームへと続くエスカレーターの速さに驚いた。私たちですら乗るときヨロっとしてしまうくらいなので、高齢者の方は大丈夫なのか?と思ってしまった。が、大丈夫なのだろう(笑)。
あと既に午前10時半くらいだったにも関わらず、駅・電車内はラッシュアワーさながらのせわしなさで、車内は満員、降車後も改札までみんな超早歩き!
東京並みかそれ以上かもしれない。てっきりヨーロッパはどこもゆるくてこんな職場に向かって超速歩きするなんて思いもよらなかった。びっくり一コマでした。
本当はキエフで一番深い駅(アルセナイナ駅かな?)にも行きたかったが時間切れで行けなかった。
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『バビ・ヤール』は、今や綺麗に整地され、ベビーカーを押す母親、犬とジョギングする人々がいたりと平穏で健康的な公園となっていた。
ここはキエフにある峡谷で、1941年9月29日〜30日にかけて実行されたナチスによるホロコーストの現場である。キエフに住む3万人以上のユダヤ人市民がこの谷に連行され殺害された。一件で最大の犠牲者を出した虐殺の現場と言われている。ナチス及びウクライナ警察によって前日28日に市内にビラが張り出され、翌日朝8時に指定の場所への出頭を命じた。(それに従わない者は銃殺されることが通告された。)ユダヤ人たちはそこから強制移住させられるものと思っていたため、ほとんどのユダヤ人市民が素直に指示に応じた。まさかその場で10人ずつ崖っぷちに立たされて銃殺されるなどとは夢にも思っていなかっただろう。
崖は今やほとんど埋められていて、虐殺された峡谷自体はよくわからなかった。現場にはユダヤ教の燭台をモチーフとしたモニュメントやユダヤ人と共に殺害されたロマ人の馬車のモニュメントがあった。
↑埋め立てられたと思われる虐殺現場の崖の跡地
当時の記録が日時と写真と共に記載された掲示物もあり、詳細に状況を知ることができた。
この出来事はソ連からも隠蔽され、『ユダヤ人の虐殺』ではなく、ナチスの侵略によりキエフ市民が殺されたというストーリーに書き換えられた。市民の大半がユダヤ人であったにも関わらず、シナゴーグを奪ってソ連の軍事施設にしてしまったり、虐殺を隠蔽したり。ユダヤ人にとっては二重の悲劇である。
ソ連崩壊後の91年にウクライナ政府がユダヤ人犠牲者のための追悼碑を建設することになり今に至る。
今からほんの80年以内の出来事である。
信じられないひどい出来事であるが、いったん歯車が回りだせば人間はこういうことができてしまう。ということを前提に社会を考えていかなければならないと改めて思った。
最終的なアウトプット「虐殺」だけ考えたら誰だって「そんなことするわけがない(されるわけがない)」と思うだろうが、それに至る複雑な文脈があり、その物語全体を絶えず検証し、記憶し、変わりゆく社会環境に応じてアップデートさせながら考え続けなければならない。
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お昼ご飯は最後のウクライナ料理で、まんまるで大きなキエフカツレツと何度食べてもおいしいボルシチを頼んだ。ウクライナは物価が安く(3割安くらいのイメージ)、おしゃれなカフェでたらふく食べても1000円未満くらい!
その後、アンドレイ坂というお土産屋台が連なる場所でお土産を買う。
すっかりソ連デザインに魅了されていたのでTHEソ連なバッジを選んで買った。当時の役人や軍人が付けていたバッジやメダルが(本物かは疑問だが)たくさん売られていた。モスクワオリンピックのバッジもあってクマのミーシャがかわいかった。ミーシャグッズも何か買えばよかった!
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ホテルに集合し皆で空港へ。
もう数日残る東さんと上田さんと空港で最後のお別れをし、帰路へ。
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実に刺激的で学びの多い素晴らしい1週間だった。
帰国してから早くも一ヶ月以上経ってしまったが、記憶と記録を反芻しながら今も新たな気づきが生まれたりして旅の途中にいるような感覚である。
東浩紀さん、上田洋子さんによって綿密に構成された『ゲンロン』プロデュースのツアーだからこそ得られた体験がたくさんあった。
まだまだ観光地化されていないので、現地とのパイプやロシア語・ウクライナ語の通訳が必須という条件の中、ゲンロンのお二人がここ5年間で培ってきた現地との信頼関係、上田さんの超一級の素晴らしい通訳によって他では得られない体験ができたということはもちろんだが、それだけに留まらない。東さんと上田さんの哲学的な補助線に導かれながら、ナマモノのように日々変わりゆくチェルノブイリを通じて人類の歴史や社会、神について考察することができたこと、『ゲンロン』というプラットフォームの空気に引き寄せられて集まったヒト同士の独特な化学反応がとても面白かったこと、それら全てが今後の人生に影響を与える貴重な体験となった。
ツアー参加者は、皆が皆『ゲンロン0 観光客の哲学』を読んでいたわけではなかったと思うが、友⇄敵 二項対立のどちらでもない、共同体の内にいるでも外にいるでもない無邪気で無責任で好奇心旺盛な観光客。そんな存在ならではの可能性に何か期待をしている人たちの集まりだった。それがとても新鮮で居心地よかった。
東さんいわく、ゲンロンのチェルノブイリツアーは「本来は個人旅行が好きなようなバラバラな個人がたまたま集まって実施される団体旅行」である。それぞれがそれぞれの背景と目的を抱えてツアーに参加していて、全く違う視点で話すコミュニケーションがとても面白かった。
今回のようなダークツーリズム(悲劇の跡地をたどる旅)は独りでしても反省と絶望で終わり、修学旅行のような強制的な団体旅行は「協調」ばかりに比重が置かれて終わる。
“違ってあたりまえ”のバラバラな個人が集結する今回のようなダークツーリズムは、反省と絶望に陥りすぎず、ただの仲良しクラブにもならずに「皆で意見交換しながら前向きに体験を昇華できる」よい形態であった。
本来自然に生きていたら出会わなかった人、出くわさなかった体験、いわば人生の“エラー”がたくさん体にインストールされた。
チェルノブイリをインストールした新たな自分と共に、これからの人生をどんなものにしていこうか。
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