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第一歌集『三齢幼虫』 奥村晃作鑑賞【後半】

前半に続きまして、『三齢幼虫』後半に入ります。

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現実は鋭くて(1973-1974 37歳-38歳)

緊張の日々耐へて来て地の裂け目おちたるやうに一夜荒れたり

甲虫三齢幼虫とわれに説き気味わるき白きもの持ち歩く

振り向くににつと笑つて来よといふ唇あかき女の顔

とげのある針金をもて百姓が遊びの土地をつひに囲へり

こらへたる一日のゆふべ和み来る心の変化しづけく目守る

魂をぎ込み浩子育てにし妻の歳月われのみが知る

いちいちに腹立たしくて隣り家が道路に流す汚水をまたぐ

蜜蜂が花粉に足を太くして咲きにぎはへる藤のなかとぶ

もみぢ葉はかさなり泥をかむりゐてあたたかからん古池の底


腕章の男(1975 39歳)

池袋駅前を来れば過激派の青年説きゐる自動車くるまの屋根に

見舞には林檎がよしとデパートの地下に選りをり予算のなか

「ずる休み」「死ね」「犬」なぞと教室の落書の文字見つつ礼をす

一合の酒に酔ひつつ団体の客ら去りたる食堂にゐる

工面して得たる時間を大切にかかへて熱海の海に下り行く

たましひが肉のふかみに閉ぢこもり六月ひと日ひと日とすごす

今日はもうどうでもよしとカルピスに氷をまぜて飲めるだけ飲む

ベランダの草木に朝の水を遣る人をば見上ぐ電車止まりて


牛の如き(1976年 40歳)

一本のコーラ手に持ち夕闇の不忍池の石に坐りぬ

救はれし貴女が神を信ずるはそれで佳し人に〈救ひ〉は説くな

鳩の毛の白き和毛にこげが吹かれをり刺持つ枯木の刺に止まりて

浮浪者の胴にゆはへる細紐に首輪つながる犬も眠れり

女の神秘ブラックホールと刷る紙が風にはためく昼下りなり

眼つむるに頭の中の受け穴にスポスポ落ち込むパチンコの玉

サウナ湯に今宵も逢ひし刺青の角刈りの男見つめをりわれを

自動車を止めて出で来し青年が背広を脱ぎて海に叫べり


東京の空(1977年 41歳)

墓石の下なる地面持ち上げてぎつしりと白き霜柱立つ

ティールーム見つけ入り来てコスモスの歌のつづきを二十分読む

誰も誰も「きれいだねえ」と一目見て海を背にして行きてしまへり

次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く

空晴れて吹きしく風にはためけるビニールの中の造花にぎやか

哀しげの顔せる豚が混凝土コンクリの壁に体を付けて臥しをり

公園の芝生の草に立つたままキスに余念なし二人は若く

雰囲気が徐々に熟すか予期したる如き形のキスに入りたり

濁流がのせ行く塵芥ごみの木の屑に赤、緑などボールのまじる

急行の列車を待ちて在る列に子を割込ます一家族見る

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『三齢幼虫』後半の4つの連作から35首選びました。あとがきによると、本作は、奥村先生自身による自選歌稿を、お師匠・宮柊二先生にお目通しいただき作り上げたものだそう。
37歳から41歳までの作品ということで、日々の生活における圧迫感や違和に向き合った、共感させられる歌が多かったです。政治運動や宗教勧誘、高度経済成長、コーラやカルピスがストレスフルな生活の相棒だったりと当時の空気を感じる歌の数々も印象的。サウナ湯でよく会う角刈りの男に見つめられる歌や、公園のカップルのキス過程をまじまじと見つめた歌などは、相変わらずのユニークな観察眼が味わい深く、個人的に大好きです。
かの有名な「次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」が目に飛び込んできたときは「来た!」と大興奮。高度経済成長のさなか、皆が脇目もふらずにアクセルを踏んでいる、そんな様子を批評的に歌った社会詠として読んでいました。先日なんとご本人から、これは小和田海岸の国道を横切ったときに生まれた歌だという貴重な情報をいただきました。

私の勝手な解釈では、日頃からの作者の社会に対する批判的なまなざしと、目の前の現実風景が重なったことで、あのような力のある普遍的な歌が生まれたのだと思います。現実風景=具体もなしに自分の思想だけで歌ってしまうと独りよがりなモノローグになってしまいますが、この歌のようにバチっと具体と感性が一体となると、広く人々に届く魅力的な歌になるのだなぁと思いました。(勉強中)

次回は第二歌集『鬱と空』について書いていきます。


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