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第五歌集『蟻ん子とガリバー』奥村晃作鑑賞前編

現代ただごと歌の提唱者として著名な歌人、奥村晃作の歌集を第一歌集から鑑賞しています。
第一歌集『三齢幼虫』、第二歌集、『鬱と空』、
第三歌集の『鴇色の足』、第四歌集『父さんのうた』を読んできました。
今回は第五歌集『蟻ん子とガリバー』の前半を読んでまいります。(奥村晃作氏の紹介はこちらをご参照)
これまでの記事はマガジン「歌人 奥村晃作の作品を読む」をご参照ください。

第五歌集『蟻ん子とガリバー』ながらみ書房(1993)

平成二年(1990)

電灯を点して覗く戸袋の一番奥に鳥の子黙す

朝寝覚あさいざめ戸袋の中の鳥の子の声かしましくうれしむわれは

ギアギアと声のきたなき親鳥に応答す清き巣の中の声

船内を歩き調べてわが部屋はエンジンしつの上なるを知る

オホーツクのカモメ群れ飛ぶ中の一羽船と速度を徐々に同じくす

船のわれ、宙のカモメの進む速度同じなり彼の顔よく見える

投げるわれ狙ふカモメの息合ひてカモメは宙の菓子をくはへつ

船足は速くなり来て懸命にすがるカモメの相継ぎさか

東京の水道の水なまぬくく変な味すと初めて気付く

浄水器買ふべく妻とあれこれの器種検討す東京の水

かるると見えしわが影自動車の車体に窓に立ち上がりたり

自転車をトリガラのごと山積みし「クリーン作戦」のトラック走る

富士山は雲湧かしめて自らの胸のほとりの飾りとなせり

贈りたる寒鰤食はずちちのみのちちのみことの急に逝きませり

商人あきなびとの期待とことごとにたがふ生きざま貫いて来ぬ

たらちねの母の気迫のすさまじく長男晃作無視するなと

平成三年(1991)

新幹線、ゴンドラ、リフトと乗り継いで労せずにわれは雪山に立つ

雪山のてっぺんに雪に一人坐しむすび食ふ足を靴からはづして

空爆の現場ブッシュも見てゐない映像で観る湾岸戦争

お祭りのごと華やぎて明るめる夜空の下の爆弾地獄

テマヒマを省き空から爆弾をわんわん落しこわしゆく都市を

ゆくゆくはマッチ箱くらいの大きさの犬だって人は造るであらう

蟻ん子がガリバーの如きわれを見をり新宿御苑の芝に臥すわれを

原発の反対貫き送電の一部止められた丸木美術館

白波にさらはれる位置に身を置いてさらはれし婦人岩這い上る

こともなく髪をすきつつ岩に立つ海ゆ上りしずぶぬれ婦人

土乾く大陸と師は詠みましき列車は床に大きポット置く

はしづまを思へばまけにまけさせて青きヒスイの首飾り買ふ

バスの旅快適ならず何ゆゑのこのスピードぞ運転手蔣君

花の如羊ら群るる山の斜面向ひに見つつ坂を下り行く

結果的に猛スピードのバスだから一日の距離ここまで来れた

あれだけの大水何回流れても清まらぬ水、黒き荒川

点滴に注文つけてその直後にはかに変じ父は逝きしと

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『蟻ん子とガリバー』から33首引きました。
取り立てて大袈裟に言うことでもない微細な心の動きを、その瞬間の時間、情景の座標軸そのままに的確に歌うことでその感慨が読み手にも伝わってく
る奥村の作品。今回の歌集は特にそうした表現の緻密さが特徴的で、経験したことのないことも自分の記憶のように残るほどの力を持っている。

オホーツクのカモメ群れ飛ぶ中の一羽船と速度を徐々に同じくす
船のわれ、宙のカモメの進む速度同じなり彼の顔よく見える
船足は速くなり来て懸命にすがるカモメの相継ぎさか

北海道羇旅の連作の一部、カモメとの交流を歌ったこれらの作品は、まるで本当に読み手が自分で見たかのようにカモメの顔がイメージされ、海風も感じる。

白波にさらはれる位置に身を置いてさらはれし婦人岩這い上る
こともなく髪をすきつつ岩に立つ海ゆ上りしずぶぬれ婦人

不思議な雰囲気のこの歌も、自分が図らずも見てしまった光景のようにリアルに迫ってくる。この歌は、現実のような幻影のような、少々奇妙な感じもあって惹きつけられる歌である。

旅行詠は往々にして作者の体験以上の感慨を読み手が感じとることは難しい。私も旅行詠を歌うときに、当人としてはかけがえのない情景・抒情を歌っているつもりが、他の地名でも置き換え可能な、ありきたりな表現になってしまうことが多い。
しかし奥村の旅行詠は、旅行体験の中の素材の切り取るポイントがユニークで、生々しい情感がしっかりと伝わってくる。

はしづまを思へばまけにまけさせて青きヒスイの首飾り買ふ
バスの旅快適ならず何ゆゑのこのスピードぞ運転手蔣君
結果的に猛スピードのバスだから一日の距離ここまで来れた

はしづまのためにヒスイの首飾りを買ってあげたい気持ち、そのために頑張ってまけにまけさせたという一コマ。状況や感慨がよく伝わってくる。
中国旅行のバス移動のくだり。あまりの猛スピードに運転手蔣君につい問うてしまっている歌い口が笑いをそそる。
地名などの具体情報を排していても、それでむしろ歌の味わいが読み手に開かれ、作者の感慨一点に集中、共鳴できるように作られている。

とにかく視点。奥村の視点が素晴らしい。じっくり上の歌を味わっていただきたい。

次回は後編(平成四年)を読んでいきます。


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