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言葉を体に起こすとは #29

言葉を体に起こすという
パントマイムにおける表現の工程

「リンゴ」というものを言葉で口にすれば、それを聞いたりんごを知っている誰もが”りんご”を想像することが可能だろう

しかし「リンゴ」を言葉を用いずに表現するとなると、様々なアプローチが必要となってくる

説明であればたった一つの名詞としての「リンゴ」が答えで良いが、表現となるとその言葉が持っている意味は一つではない

ジェスチャーではなくパントマイムとして、言葉を表現するということに関して語ってみたいと思う。

言葉が持つ場面を演じる

先程の例で上げた「リンゴ」を例えに
言葉でリンゴと告げられたなら、誰もが赤くて丸い果物のリンゴをイメージすることだろう。

しかし、パントマイムで表現するとなるとそのリンゴが持っている場面を表現する必要がある

例えば
・リンゴの剥き方(桂剥きのように丸々一個を剥く動作など)
・病室(お見舞いのシチュエーションにリンゴは出てくる)
・丸かじり(袖でこすって齧り付く)
・カット細工(ウサギさんにするなど、カットに手を加える描写がある)
・木に成っている(育成場所にも特徴はある)

誰もが何となくイメージ出来るであろうシチュエーションだ
他にも
・頭に乗せて矢で射る、アダムとイブ、握力で潰す、万有引力を発見する、
などなど
上げれば他にも思いつく場面はあるかもしれないが、要はそのシチュエーションなら手に持っているモノは”リンゴ”に違いないだろうと想起出来る場面を演じることで、パントマイムとしての”リンゴ”がお客さんの目に発現するということだ。

言葉を解釈する

次に言葉を解釈するということについて

例えば『お化けが現れた』という文章が台本上にあったとしよう
観ているお客さんにこの文章を伝えるためには
”お化け”という言葉がもつイメージを表現することが重要となる

先ずは、お化けをどう解釈するかで様々な表現の候補が出てくるだろう

・幽霊
・布お化け
・貞子などの有名キャラクター
・妖怪
・化け物、モンスター系
・フランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男もお化けと解釈するかもしれない
・ゾンビはお化けか?

このようにお化けという言葉一つとっても、どこまでをお化けと解釈するかは人それぞれである
そして、台本上どのキャラクターが必要なのかが明記されていないのだとしたら、どれだとしても候補ではあるだろう

なぜなら、そこは余白であり、演者の想像力で補完してよい部分だからだ。
脚本上に明記されていなければ”お化け”という言葉の持つイメージを幅広く候補に上げて良いというわけだ

次に”お化け”が持つ要素を表現してみよう
要素とは特徴と言い換えても良いかもしれない

例えば
・動きがゆっくり
・顔が怖い
・歩かず浮いている
・体が歪んでいる
・両手を胸の前で垂らしている
・ヒュードロドロ、のような音声

などなど
最初にどのようなお化けに解釈するかで変わってくることではあるが、上記の特徴は一般的にこれまで様々な媒体で表現されてきたイメージをまとめているに過ぎない。

しかし、これらの記号的な特徴を体に表すことによって、たしかに観ているお客さんは、出てきた人を”お化け”の役と認識してその先の物語を追うことになる。

解釈によってお化けをどのようなタイプのお化けにするかを決め
その特徴を表現することで、見ている人は”人ならざるもの”として理解するというわけだ

演出によって絞り込む

たった一行『お化けが現れた』
をパントマイムで表現しようとすると、このようにその言葉から連想されるもの、そしてその特徴を洗い出して選択する

そうすることにより、言葉や文章で説明しなくても
”お化けが現れた”ここからどのような物語になっていくのだろうと、表現したい言葉を理解させた上でストーリーを進めることが出来る。

大きなキーワードとして舞台上で共通認識にしてしまえば、そこからの展開はどのようにでもアプローチ出来る。

実はそのお化けは、お化け屋敷のキャラクターだったでもいいし
肝試しで友人を脅かそうとしていた普通の人、という展開だって問題ない
ハロウィンの魔物達の物語、というそのままのキャラクターとして進めても良いだろう

一つの言葉が持つ
【場面・解釈・特徴】
これらの複合的な要素を絞り込みながら、演技に落としこむ
そうすることで、どのような文章を演じているかはハッキリと伝わるようになるだろう

言葉=〇〇、ではない

お化けという言葉に限らず、先入観を持ってしまうことは表現の幅を狭めることに繋がる。

とあるワークショップで「喫茶店で待っている」という文章が課題に出た際、10人中10人はスマホを取り出して操作する演技をしていた。

確かに現代においてはそれが”待っている”という演技なのかもしれない。
しかし、待っているということは相手のいること

場面から考えれば
・待たされているならイライラしている
・初めて会う人で緊張している
・意中の女性でソワソワしている
・辺りをうかがう
・身だしなみに過剰に気を使う etc..

このように言葉に対する解釈と特徴を演じられれば、待っているという言葉も様々な場面にすることができるのだ。

しかし《待っている=スマホを操作している》に変換してしまうと、そこから先に変化は生まれない。

現代において、このようなことは顕著になっている

一つの言葉が持つイメージや場面は実際はとても幅広いものだ
固定観念や先入観に囚われてはパントマイムにおける自由さ、余白を生み出す深さが損なわれてしまう。

様々な=に関して他にどのような表現が当てはまるだろうか
この問いかけを持つと、もっともっと言葉が持つ意味の深さにも気づくことが出来るのではないだろうか。

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