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涙が零れる

小さい頃から、よく泣く子だった。本当に、よく泣いていた。だから姉にはいつも「泣き虫」と言ってからかわれていたし、最初の頃は「どうして泣いてるの?」「お腹が痛いの?」と心配してくれていた親も、「もう、また泣いて~」「今度はなに?」と、心配するよりも呆れていることの方が多かった。

自分でも、どうしてあんなに泣いていたのか、よくわからない。アニメの怖い場面で泣いて、夜寝るとき暗がりが怖くて泣いて、それを姉にバカにされてまた泣いて、いつも気付いたら泣いている自分が嫌で、さらに泣いていた。

鮮明に覚えているのは、小学校一年生のとき。国語の教科書に、たんぽぽのの詩が載ってあった。詳しくは覚えてないが、その詩のなかに、”うふん、と笑った”という文があった。担任の先生はその詩を音読することを宿題とし、「”うふん、と笑った”の部分は、みんなそれぞれの”うふん”を表現して読んでみてね」と言った。私はとても素直かつ真面目だったので、担任の先生に言われたとおり、母の膝の上で、私なりに”うふん”のところを可愛く表現して音読をした。すると母は笑った。今思えば、母はそんな私が可愛くて笑ったんだと思う。でもそのときの私は、母にバカにされたと感じ、”うふん”と表現した自分が恥ずかしくて、泣いた。母は私が突然泣き出したことに面食らっていた。


私は徐々に泣くのは恥ずかしいことだと感じ、泣くことを我慢するようになった。我慢できないときは、隠れて泣いた。子どもの頃、毎週金曜日は姉と弟と、祖母の家に泊まる日だった。いつも祖母と(たまに祖父と)、姉と弟とソファに座って、映画やアニメを見るのが習慣だった。泣くことが恥ずかしいことだと思い始めていた私は、映画で泣けるシーンがあったとき、誰にもばれないように静かに涙を流すコツを掴んで、ただただ涙を流していた。涙が止まらないときは、「トイレ」と言って部屋の外にでて、一人でしくしく泣いていた。私が高校生のときに祖母が、「あの頃のすみれちゃんは本当に頑張って泣くことを隠そうしていて、でもバレバレで可愛かったんよ~」と話してくれた。


いつ頃まで、人前で泣かないように頑張っていたんだろう。正確には覚えていないが、泣いて姉にバカにされた記憶、両親に呆れられた記憶がずっと心に残っていて、家族の前では泣かないよう、最新の注意を払っていた。だから、学校で嫌なことがあっても、部活で辛いことがあっても、その話をしたら絶対に泣いてしまうから、そういう話は親にできなかった。いつしか、親の前では楽しかったことやたわいのない話しかできなくなっていた。


でも、高校生くらいになると、友だちの前では泣けるようになった。私のことを理解してくれる友達に恵まれたから。高校生の頃の私は、毎日勉強に、部活(弓道部に所属していた)に一生懸命だった。弓道は、波が激しい。調子の良いときは、気持ち良いくらいに的に矢が中り続ける。でも一度その調子が崩れると、スランプに陥る。2年生の頃、そのスランプが長く続いたときがあった。顧問の先生に何度も何度も同じことを注意され、どれだけ注意されたことを意識しても矢は的に中らず、イライラしていた。先生も痺れを切らし、一度厳しい口調で指導された。それで私もメンタルがやられて、泣いた。悔しい、苦しい、きつい、と思いながら道場の外で泣き続けた。でも、どれだけ泣いても最後の立ちには参加しなければならなかった。”立ち”は単なる練習ではなく、試合を意識して矢を射ることで、成績も記録される。その成績を見て、試合に出るメンバーが選出されるので、重要なものだ。結果、その立ちで私は4本すべての矢を的に命中させた。泣いたことですっきりしたのか、身体の隅々まで意識が行き届いて、先生に注意され続けたことが明確となり、4本すべての矢を、集中して、明確に射ることができた。先生は「これでスランプから脱出だな」と笑って言ってくれた。ずっと私のスランプを傍で見てきた友だちが「すみれって、泣いて強くなるんだね」と感動した様子で言ってくれた。それが、すごく嬉しかった。


そして段々と、自分にとって「泣く」ことの意味がわかるようになってきた。


素晴らしいパフォーマンスを見たときや何かにすごく感動したとき、「鳥肌が立った」という人がいる。私はあの感覚がよくわからない。私の鳥肌は、寒いときにしか立たない。でもその代わり、私は涙が出る。初めて劇団四季を見に行ったとき、文化祭で友だちがずっと練習していたダンスを披露したとき、映画館でマーヴェリックを見たとき、カナダで息をのむような景色を目にしたとき、コンクールで先輩たちの最後の演奏を聴いたとき、どの瞬間も、私は泣いていた。私は、心が動かされたときに涙がでるのだとわかった。


よく「感受性が豊かだね」と言われていた。それはきっと誉め言葉として言ってもらえていたのだと思うけど、私はあまり嬉しい気持ちでその言葉を受け取れていなかった。泣くことが嫌いだったから。感受性が豊かでなかったら、こんなに泣く必要なかったのに、と。でも、最近は感受性が豊かな自分のことを好きになりつつある。泣くのが嫌ではなくなったから。他の人があまり気にならないような些細なことで心を動かされるって素敵だと思うし、季節の香りや普段歩く道の景色の変化に気付けるのも、きっと私の感受性が豊かなおかげだから。


もちろん、辛いときや悲しいときにも、泣く。涙がぼろぼろと零れてくる。でも、その度に、「ああ今わたし、強くなるために泣いているんだ」と感じる。Mrs. Green Appleの、”メンタルも成長痛を起こすでしょう”という歌詞は本当。生まれつき心が強い人もいれば弱い人もいる。生まれつき心が強い人を羨ましいと思ったこともあるけど、今は、自分が弱い心を持って生まれて良かった、と思う。何回も何回も泣いていつか心が強くなったとしても、弱い心を持った人のことを理解できるから。



先日、西加奈子さんの「くもをさがす」を読んで、何度も涙が零れてきた。あまりにも西さんの生き方が格好良くて、強くて、私の理想とする生き方そのものだったから。西さんのことばは、私の心を幾度も動かした。私が西さんのように強い女性になるためにはこれからあと何回、辛い涙を流す必要があるんだろう。せめて、辛い涙より、心を動かされたときに出てくる涙の回数が多かったらいいな。そしていつか、家族や他人の前でも見えを気にせず、堂々と涙を流せるようになりたいな。




「弱いなぁ、自分。」
と、思った。もちろん情けなかったが、その情けなさを受け入れると、何かに触れるような気がした。自分がこの体で、圧倒的の弱さと共に生きていることに、目を見張った。

くもをさがす/西加奈子



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