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青い眼がほしい

「人の価値は、その人の容姿で決まるものではない」

これは、私の友人が大学の卒論発表会のときに発したことば。普段は一緒にふざけたり、ばかみたいな話ばかりしている彼女が、学生や教員の前で堂々とこの発表をしている姿はとても印象に残っている。そして、最近このことばについてとても考えさせられる。

私と彼女は「英米文学ゼミ」というゼミに入っていた。名前の通り、アメリカやイギリスの文学についてを学ぶゼミだ。私たちはこのゼミで、一つの作品を筆者の生い立ちや歴史的背景、その国の文化など、様々な観点から読み進めることでどういったことが言えるのかを考え、研究した。

彼女は大学4年の卒業論文で扱う作品として、トニ・モリスンの小説「青い眼がほしい」を選んだ。この物語は、「黒人だから」という理由だけでひどい人種差別に遭い、白い肌やブロンドの髪、そして青い眼を持つ白人に憧れ、「誰よりも青い眼にしてください」と祈った黒人の少女、ピコーラの人生を描いたものだ。私はこの小説を読んだとき、白人と黒人の扱われ方の違いにとても驚き、ピコーラが黒人でなかったらこんなひどい人生を歩まずに済んだのだろうかと考え、とても憂鬱な気持ちになった。

今の社会は外見至上主義だと思う。当たり前のように毎年、全国の大学でミスコンが行われ、テレビでは芸人が外見でイジられ、YoutubeはどうやったらKpopアイドルみたいな体型になれるかの動画で溢れてる。

それがとっても悪いことだと言いたいわけではない。でも、少しずついろんな知識を身に着け、多民族国家であるカナダで留学を経験した私は、違和感を覚えるようになった。何のためにミスコンを開催してるのか、外見をイジることでなぜ笑いが取れているのか、どうしてみんなKpopアイドルのような体型に憧れるのか。

でもこんな偉そうなことを書いている私も、無意識のうちに外見で人を判断してしまうときがある。見た目の第一印象でその人のことを決めてかかったり、周りの可愛い子を羨んだりしてしまう。友だちと恋バナするときも「結局は外見も重要」という結論に至ったりする。

矛盾しているとは思う。「見た目で人を判断してはいけない」「見た目は重要ではない」と思いながらも、「人から可愛いと思われたい」と思ってダイエットしていた時期もある。

こういった、自分の考えがごちゃごちゃで曖昧なときに、彼女の卒論発表を聞いたからこそ刺さった。





「人の価値は、その人の容姿で決まるものではない」



まっすぐな眼で、凛とした声で、彼女は話していた。彼女は、大学のミスコンで1位になったことがある。私が初めて大学で彼女を見たとき、可愛すぎてびっくりしたことを覚えてる。もちろん彼女の意識の高さだったり努力もあるけれど、彼女は容姿に恵まれている。だからこそ、彼女のことばはとても新鮮だった。私が彼女の容姿を持ち合わせていたら、きっと天狗になっていると思う。「私はかわいいから」と自覚して、少しわがままになっていたり、自己中心的な振る舞いをしていたかもしれない。でも彼女は一度も自分のことをかわいいと思っている素振りを見せたことも、そのような発言をしたこともない。むしろ、その容姿で自分の価値は決まらない、と発言したのだ。とても格好良かったし、心から尊敬した。

きっとこれからも外見で人を判断してしまうことはあるし、「人から良く見られたい」と外見を磨くこともあるかもしれない。けれど、意識的にも無意識的にも、人の価値をその人の容姿で決めつけたり、測ったりすることだけはしないようにしたい。

2023.04.15 すみれ

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