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運命なんて、そこらへんに

少し前に、Netflixのオリジナルドラマ「First Love 初恋」を見た。

すごく映像や音楽が綺麗で、
役者の方の演技も大好きで、
とても心に残る作品となった。

その中でも私が特に心を奪われたのは、セリフ。

どの登場人物にも感情移入ができて、その人物が口にするセリフに毎回胸を打たれる、そんな瞬間の連続だった。


このドラマは宇多田ヒカルの曲、「First Love」「初恋」から生まれた、男女2人の20年に及ぶ人生を追う壮大なラブストーリー。

私はこのドラマを見ながら、何度も"運命"について考えさせられた。

私は普段生活をしていて、"運命"だと感じる瞬間や、"運命"について考える出来事はあまりない。
"この人と出会えたのは運命だ"と感じたような出会いは残念ながら今まで無かったし、"運命の出会い"というロマンチックな響きにもあまり関心は抱いていなかった。

でも、このドラマのセリフでハッとさせられる瞬間があった。
それは、第8話で、主人公:野口也英に想いを寄せる、也英と同じ職場の男性:占部旺太郎が也英に向けって贈ったことば

"やっぱり僕、運命ってあると思う
ある日、掃き溜めみたいな職場にある人が現れたんだ
その人は外国の猫みたいに儚くて、透き通って見えて、
その人のおかげで僕は毎日会社に行くのが楽しみになって、
エビまで食べられるようになった
運命だなんて言ったら大袈裟だと思うかもしれないけど
僕が将来外国でエビの養殖に成功して、
したとして、
財を成してとびっきり可愛い奥さんをもらったとしたら
その時に人は言うでしょう
野口也英が占部旺太郎の運命を変えたって"


運命って、出会ったその瞬間にわかるものではなくて、
後から思い返したときに、"あ、あのときの出会いで今の私がいる。あの人は今の私を作った、運命の人だったんだ"てなるのではないだろうか

だから先ほど、「"この人と出会えたのは運命だ"と感じたような出会いは残念ながら今まで無かった」と書いたが、
それは今までの23年間で起きた出来事、出会った人々が運命の出来事、運命の出会いであったかどうかがわかるのが、これからの私で決まるからではないだろうか

私が将来、国際協力を仕事にしてカンボジアの支援に力を入れるようになった場合、「大学2年生のときに参加したボランティア団体でカンボジア派遣に行った出来事が私の運命を変えた」となるだろう
私がイギリス文学に興味を見出して、有名な作品の論文をたくさん世に出して有名になったとしたら、「大学3年のとき、英米文学の授業で私にイギリス文学に興味を与えてくれた先生との出会いが、私の運命を変える出会いだった」となるだろう

そう考えると、運命なんて、そこらへんに転がってる
それを運命と呼ぶか、ただの出来事と捉えるかは、その後のあなたの行動次第なのだ




私は、できるだけたくさんの人の"運命の人"でありたい
いつか過去を振り返ったとき、
「あのときすみれに出会ったから今の自分がいる」
「すみれの影響で私は変わることができた」
と思ってくれる人がいたらどれほど幸せだろうか

のちに私のことを"運命"だと捉えてくれる人が少しでもいることを願って
私は私の大切な日常を大切にしながら過ごしていく



すみれ


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