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哀れなるものたち 

原作はフランケンシュタインを彷彿させる

19世紀の作家 メアリー・シェリーが書いた
フランケンシュタインの女性版として描かれているようだ。


原作『哀れなるものたち』

19世紀末、グラスゴー。異端の科学者バクスターは驚異の手術に成功する。身投げした女性に胎児の脳を移植して蘇生させたのだ。その女性――成熟した肉体と無垢な精神をもつベラは、バクスターの友人マッキャンドルスら男たちを惹きつける。彼らの思いをよそに、ベラは旧弊な街を飛び出し、旅するなかで急速な成長をとげる。そのとき、彼女が知った真実とは? 知的な仕掛けと奇想によって甦るゴシック小説の傑作。映画化原作

フランケンシュタインのメアリーは、名前からわかるように
女性作家
SFの先駆者として位置づけされてる作家だそうで

母はメアリー・ウルストンクラフトという
フェミニズムの先駆者といわれ
父は、ウィリアム・ゴドウィンという
近代無政府主義(アナキズム)の先駆者

この両親の遺伝子をもって、このSFを書く
なんかすごい人ですね。

しかも1797年生まれ、200年前の時代、社会環境を
想像すると、とても自由で、バイアスのない人で
でも、世間からは冷たくあしらわれたりしたかも
などを想像してしまう映画でした。

憎しみのこころか、慈愛のこころか

フランケンは、つぎはぎだらけで死体を再生する話
ちゃんと観たことも読んだこともないけど、
想像するに、当時の時代の常識と言われるものを
疑問視して(そういう両親)育ったフランケンの作者は、

きっと不正義な仕打ちをいっぱい受けた
恨みみたいなものをフランケンに投影したのでは?
っと思うのですが、

今回のベラは、自殺した妊婦のカラダに
その胎児の脳を移植して生き返った。

手術をしたゴッド(名前)は、解剖しながら
教鞭をふるう博士だが、ベラのことを娘として
とても愛して育てる

カラダは成人の女性なのだが、脳は幼児で
「ちー」と言って、おもらししたり、
だだをこねたりしながら日に日に育つ

この頃のシーンで、寝る前に絵本を
一緒に横になって、絵本を読んでやるシーンは
成人の男女がベッドに並んで横になっている図柄だが、

父と娘の雰囲気があり、ほほえましい。

原作者の母がフェミニズムの先駆者として
女性が家に籠るような生き方をせず、
多くの男性との付き合いをし、

フランス革命を体験した人だったところから
主人公ベラが、性にめざめ
自分の付属のように扱う男性に疑問を持ち

本から多くを学び、
冒険で経験した悲しみや苦しみを
乗り越えて、成長していく話にしあげてある。

想いを込めることで、そのように結果は
展開していく。

フランケンは憎しみで暴れる怪物になってしまったが、
ベラは、人を救う医者として、
そして、支配していた男を虐げる結末はちょっと苦しいが。

背景や衣装がとにかくすばらしい

大人の絵本と評価されるだけあって、
空の描写が、幻想的であり、
物語以上に物語を語るような色

得に気に入ったのは、
夜の船の甲板のシーンの夜空
月が冷静さと浄化エネルギーを注いでいる

ベラの衣装は、いつも大きなバルーン袖の
丈の長い上着に、ホットパンツ
違和感がありながら、

ベラというバイアスがほとんどない状態
残酷なことも
大切に思うことも
喜ばしいことも
全てを乗り越え、人間愛を知っていく

映像のキレイさを追いかけて見終わり
後になって、いろんな意味を感じて
ジワジワ効いてくる映画でした。

ジェンダー、マイノリティを考える

生きることだけで精一杯の猿人のころは、
生きるチカラの強いものが生き残り
それ以外は、切り捨てられていくしかなかっただろう

それは、野生動物の生き方

いつしか人間は、
弱くても生き残る智慧と術を身につけ
社会を形成し、ケアしあいながら
長く生きるようになる。

だが、体格的、出産する特性と
赤ん坊のケアを母親がするという特性で

女性を奥へ押し込める
守ってやるという建前で
男の持ち物として、扱われる歴史がはじまる。

メン(男)は人間のことで、
そこには、完全なる支配ができている。

ベラは、そんな歴史も、家父長制の環境にも
全く染まらずに成長するからこそ
外の世界の異常さに驚き、疑問を持っていく

私たちが知らなければならないのは、
今の常識としていることが、
フェアなのか
平等であり、責任をもって生きていける
環境なのか

そんな疑問をいつまでも投げかけてくる




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