見出し画像

SDGsカードゲームの違和感の正体

SDGsカードゲームファシリテーターのニシムラデス。前から感じていた違和感を言語化してくれた本に出会ったので、ここに記します。

カードゲームで体験したことを現実に落とし込むのが、SDGsカードゲームの役割です。でもゲームだと、現実ではまずしないであろう選択をすることがあります。

**全員での目的達成のために、お金を出し合って誰かにあげる。

**誰かのゴール達成のために、ほかの誰かに助けを求めてくれる。

こういう雰囲気が全体を支配し始めると、なぜかみんなで一致団結して全員でゴール達成できるように場が進み始めます。まるで宗教のよう。その流れに、抗えない。

僕はいつもこのことに違和感を抱いていました。

実際に自分の大金を他人のために使うなんて、なかなかできることじゃない。でも、ゲームの中ではたやすくそれができてしまう。

『他者の靴を履く(ブレイディみかこ 文藝春秋)』の中で、このように述べられていました。

———————————————
9.11の事件の発生後、「ニューヨークの通りと言う通りは、何か与えられるものはないか、何とかして意義あることができないかと、探し回る人々で溢れかえった」と。しかし、平時の「共存」とも「共生」とも違う、緊急時の「共生存」のユートピアは、日常が戻ってくると姿を消す。
———————————————

そうか、カードゲームって「緊急時」なんだ、という解釈も成り立つな、と。

「緊急時の体験をリアルに落とし込んでも意味あるのかな」と考えながら読み進めると、次の一節に出会いました。

———————————————
他者のことを考えることが、実は自分のことを考えることなのだと言う事実が立ち上がってくる。
———————————————

深いなぁ、と思いました。カードゲームの作りが、です。「緊急時=非日常=カードゲーム」と考えればしっくりくるし、その中で他者の靴を履くことで自分の利益につながる、と。

これで自分のファシリテーションにも、またひとつ深みを出せるかな、と感じています。


#SDGsカードゲーム
#独り言です悪しからず

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?