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私が大切にしているもの①

私が一番大切にしているもの『自由』であるという事。
今までも大切に思ってきたし、これからも大切にしていきたい事です。

20代の頃からよく「自由でいいねぇ」「自由な人やねぇ」と言われてきましたが、子供の頃から自由奔放だったわけではありません。

昭和40年代生まれ。第2次ベビーブーム世代。
3人姉弟の長女。2つ下の弟と5つ下の妹がいます。
父親は建設関係の職人。母は専業主婦。

人口がどんどん増えていく時代。
小学校時代は、新しい校舎を建てるのが間に合わないから、一時しのぎのプレハブの校舎が運動場に作られていたような時代です。

建設業に従事する父は、絵にかいたような頑固おやじ。
体も大きいし、声も大きい。醸し出す空気感は威圧的。
当時の建設現場を仕切るわけですから、それらの要素は不可欠。

もちろんうちの中も父の考えに従うのが当然いう家庭環境でした。
その当時は何も特別な事ではなかったと思いますが、子供にとっては
なかなかの圧力です。

中学校は、校区の一番端の端に住んでいたので、通学は
毎日1時間以上歩いていました。自転車通学がNGだったんですよね。

なぜそんな事になっていたかというと
ちょっと荒れた校風で・・・

自転車通学を許るすと、放課後そのまま隣の学校に殴りこみに行く可能性が高くなるからという嘘のような本当の話です。

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高校は親の勧めで全寮制の高校へ進学。
あ、この流れだと、かなり私の素行が悪く、全寮制の高校へ送り込まれたよみたいですね。

安心して下さい。
不良ではありません(笑)

高校の寮生活は想像していたものとずいぶんかけ離れたものでした。
同世代の友達と和気あいあいと学校生活を送れると思っていた私の夢は、入寮当日に見事に打ち破られました。

そこはもう超縦社会!!!

お部屋も3学年が一緒。
同級生でワイワイ友達と一緒に過ごせると思っていたのに。

その日からの3年間は、寮という社会のルール、規律に縛られ、その理不尽さに、もまれる毎日。
今ではなかなかできない経験と笑い話にできますが、当時の私には窮屈な日々でした。

中でも、規律を乱すと周りに迷惑が掛かってしまう、連帯責任がとっても私を不自由にしていきました。

団体生活なので、好き勝手やっては収集がつかなくなる。
ましてや、思春期の子が集まってるんですもんね。
それをまとめようとすると、連帯責任というが一番シンプルな方法なのかもしれません。

ですが、その環境の中で私は、自分に枠をはめてしまい、窮屈になっていました。でも、そんな事にさえ気づいていませんでした。

そんな私でしたが、20代半ばでバシャール(BASHAR)の存在を知り、自分で自分に、はめてしまっていた枠に気がついて、その枠を外し始めました。

『ワクワクする事を選んで生きる。』

バシャールのメッセージに触れ、だんだんと自分の心のセンサーに正直に自由に生きたいと思うようになっていったのです。

           バシャール(BASHAR)
アメリカ人のダリル・アンカがチャネルする宇宙存在。1987年に初来日。「ワクワクすることをして生きよう」というメッセージを発信する等、日本のスピリチャル界の幕を開けた。

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