青春が刻を止める
人生で初めて、推しの“死”を経験している。
本当は何をしても涙が出てきて、不謹慎かもとかも考えたけど、両親の時は本当にそれどころじゃ無さすぎて、何も残ってなくて、
残ってないとその時の自分を抱きしめてあげることもできないから、残せそうって希望にかけてとりあえず書き始めてみる。
我が家の朝は昔から、日テレと決まっていて、小学生まではズームイン、中学からはZIP!
中学2年生の時、そんな毎朝のルーティンの中でたまたま見かけたワンダイレクション特集
未だに鮮明に覚えてる、流行りのものを紹介するコーナーで、第2のビートルズという謳い文句とともに流れた「Live While We're Young」のMV
たぶん5分とか10分とかそのくらいの特集だったけど、その日から夢中になって調べた。当時はスマホなんてほぼ普及してなかったし、音楽だって借りてこないと聴けなくて、しかもうちは、娯楽に少しだけ厳しい家だったから調べるにも限界があった。
それでも、弟たちがDSやPSPに夢中になる中、我慢してお年玉でCD買って、夜は怒られるから朝5時に起きて、パソコン使って、MV観たり、メンバーの情報を集めたり。
本当に本当に夢中だった。
楽しかったーーーー!!
英語も小さい頃から習ってたのに全然好きになれなかったのが嘘みたいに一生懸命歌詞を覚えて、調べた。
今だから言えるけど、中学の時は、放送委員の権限使って、ちょっとズルして給食の時の音楽として流したりした(笑)
英語の練習ノートも単語とかじゃなくて、1Dの歌詞で埋めてたし、美術で作ったコラージュ作品も1Dだし、好きなものを綴る作文も1Dで書いた。
友だちに布教したすぎて、学校にCD持っていって見つかって、取り返すのに職員室で先生と大喧嘩したりもした。懐かしすぎる😂
で、2013年。
ついに1Dの初来日&ライブが決まった。
でも、2013年の11月、中学3年生の私はまじでがっつり受験期。
お母さんの大反対にあって一度は諦めたけど、それでも絶対行きたくて、お願いしまくった。
今考えても、「お金は自分で出すから!」「受験頑張るから!」とかでよく行かせてくれたと思う。
なんだかんだ優しい、笑
弟もいるから父と母は一緒に行くの難しくて、ライブの付き添いは、祖母に頼んだ。
未だにおばあちゃんが「あの時は、大変だった、4時間も幕張のショッピングモールで待たされて、、」って文句言ってる。
でも、ライブ終わっておばあちゃん迎えに行ったら、全然知らん超若いチャラお兄さんとやばい盛り上がってるおばあちゃん見た私の気持ちにもなってみて欲しい。まじでびっくりした。それ含めて、いい思い出なんだよね、
で、推し活で言う私の原点は2010年から推してる、関ジャニ∞もといSUPER EIGHTなんだけど、娯楽に少し厳しかった私の家の状況もあって、
私の人生初のライブはこの幕張メッセのワンダイレクションの来日公演だった、
初めてが幕張だったお陰か翌年、エイトのライブで東京ドーム行ってびっくりするんだけど、
ほんと会場真っ平で全然見えなかったし、英語早すぎて、MC半分くらいしか分からないし、周りの人たち大人ばっかりでデカくて怖かった。
でも海外のライブって撮影可能なんだ!実物カッコよすぎん、とか生歌うま!とか初体験と感動がいっぱいあって楽しかったな。
あとみんな「TOKYO!!」って無限に言ってくれるの笑
会場付近でサプライズ計画してたDirの人から紙もらって、サプライズしたのも懐かしー!
あのSNSが普及してない時代に、手配りでサプライズ結構成功してたの今考えたらすごいわ、笑
中学のラストにスマホぶっ壊したの全然問題ないと思ってたけど、こうなってから今色んなものを引っ張り出してて、
家にある、初来日の時出演した番組の録画たちとか雑誌とかグッズ見ながら、なんであの時のデータないんだ、、!ってめちゃくちゃ悔やまれてる
で、そこから好きが加速して、高校になってもっと自由が増えて、全力で追いかけた。
2回目の来日公演も行けたの今考えたらめっちゃ貴重だったなーーー!だって、超楽しかった、って余韻に浸ってたらゼイン抜けちゃうんだもん。
(ちなみにタイトル写真は奇跡的に残ってた2回目の来日公演の時の写真)
あの時はまじでびっくりした。教室にいたクラスメイトの1D好きな子に騒ぎ立てたの覚えてる
そこからは早かった気がする、私が高校生活楽しんでたのもあるかもだけど、残念だなって落ち込みつつシングル出て、アルバムも出るってなって、予約したか買ったくらいのタイミングで、休止発表。
ゼイン抜けたのでかいし、まあ忙しいし、休みも必要だよねって、そこから私も忙しくなって、その内復活するよねって、そのくらいの気持ちだったけど、18ヶ月って言われた休止がいつまで経っても再開しなくて、
至るところで元ワンダイレクションとか聞くようになってきて、めっちゃショックだったの覚えてる。
大学になる頃には1Dが好きって言うと、あー解散したんだっけ?とか辞めちゃったんだよね、って言われる度に、否定はできなかったけど、心の中であくまで休止中ですって答えながらいつも寂しい気持ちだった。
でも、なんとなくもう集まらないんだろうなって私自身も諦めてて、時折メンバーが個人活動の中で1Dの曲を歌う動画だけを楽しみにしてた。
でもここ1、2年で急にメンバー間での交流が再開したり、再開に触れるメンバーがでてきたり、特にリアムは何度も1D時代の歌を歌ったり、メンバーのライブに駆けつけたりしてて、
今年、もしかしたら来年くらいには活動再開まではいかなくても、揃う瞬間が見られたりするかもってぼんやり期待してた。
今月頭にナイルとリアムのツーショット見れたばっかりだったし。
なのに、17日に飛び込んできたニュースはリアムの訃報
急にXのタイムラインに1Dの写真が大量に流れてきて、どれも何十万いいねとかで何かと思ってニュース見たら、、
信じられなくて、信じたくなくて、
でも時間が経てば経つほど現実で、もうその日は何見ても涙出てきて、リアムと親交ある方のストーリー何個か見たけど、悲しみだけ襲ってきて、頭ぐしゃぐしゃのまま寝た
でも翌朝起きたら、もっともっと現実になってて1Dの公式も声明出してて、あーーー。本当にリアムの時は止まったんだって実感した。
それと同時に夢をふわふわと見ていた私の青春も刻を止めたんだなって。
私は昔から少しだけ“死”が身近な人生だと思う。だから、命は永遠じゃないって分かってた。分かってたのに、知ってたのに、いつかをぼんやり夢見てしまってた。
こうなってから、メンバーが知るリアムの姿や1Dへの愛があって、苦しい。ひたすらに寂しいって思ってしまう。
大好きだった。なんならこれからも大好きだと思う。リアムが、One Directionが、リアムのいたOne Directionが。
私のいつか5人で歌う姿をって願いは、夢はもう叶わない。中学2年生からずっと動いてた青春の針は一度刻を止める。
それでもこれからも曲を聴き続けるし、One Directionを好きであることは変わらない。抱きしめて、大切に。
5人のOne Directionは心にしまっておくね。
P.S.いつか5人揃った時に開けようと思ってたTHIS IS US日本限定10000セットは、ちゃんと心の整理がついたら開けるね。
あと、今は涙止まらんから見れないStory of My lifeとHistoryのMVもまたいつか素敵な気持ちで聴くからね。いっぱいいっぱい本当にありがとう。
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